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ビュールレが見つけた美

※ 記事内に商品プロモーションを含んでいます

 

現在、国立新美術館で開催中の《至上の印象派展 ビュールレ・コレクション》。

会場内で「ビュールレが見つけた美」という約10分の映像が流れていました。

 

絵画史上最も有名な少女ともいわれる『イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢』を含め、印象派を中心に600点を越える膨大なビュールレ・コレクション。

収集したのは実業家のエミール・ゲオルク・ビュールレ。
ドイツに生まれ、人生の後半生をスイスで過ごすしたビュールレは自宅近くの館にコレクションを飾って眺めていた。

「コレクターの仕事とは独自の意志を持って作品を選び、個性的な組み合わによってあるまとまりを作り上げることなのです」

1954年に行われたビュールレの講演より

公務員の家庭に生まれ、絵画に興味を抱き美術史を学ぶ。
23歳で初めて印象派の作品と出会い衝撃を受ける。

「これらの絵画が醸し出す空気感。特にクロード・モネによるヴェトゥイユ を描いた風景画の叙情性に完全に圧倒されてしまいました」

様々なヴェトゥイユ を描いたモネの作品の中で、ビュールレが購入したのが

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『ヴェトゥイユ近郊のヒナゲシ畑』。

荒々しく描かれた空、繊細な筆使いのヒナゲシを対比させることでヒナゲシの美しさを際立たせている。
見慣れた写実絵画とは異なる印象派の世界にビュールレは魅了された。

「私がフランスの巨匠の絵の前に立った、まさにその瞬間に石が水面を打ったのです。
いつの日か懐が許す限り、マネ、モネ、ルノワール、ドガ、セザンヌなどの風景画を手に入れて家に飾ると心に決めました」

しかし第一次世界大戦が起こり、ビュールレは4年間いくつもの前線で戦った。
戦争が終わる最後の年、駐留先で銀行家と知り合い、その縁で彼の娘と婚約。
そして工作機械会社の経営を任された。

武器の製造で富を築いたビュールレは46歳から絵の収集に取り掛かる。

「可愛いイレーヌ」とも呼ばれるルノアール作の肖像画。

『イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢』。
モデルは8歳の少女で、衣装や髪の毛の表現に見られる流れるような筆使いが印象派らしい手法。
それとは対象的に緻密に描かれた透けるような少女の肌。
異なった筆使いのコントラストが絵の魅力を引き立てている。

 

印象派の流れを受け継ぎながらも独自の精神世界を描ききったファン・ゴッホ。

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浮世絵の構図を利用した大きなリンゴの樹、背景には異様な太陽。
そして黒い塊のような力強い農夫が描かれている。
それぞれのモチーフが強烈な色彩と相まって幻想的な雰囲気を醸し出している。

 

印象派に感動してコレクションを初めたビュールレだが、印象派とは異なった時代にも目を向けた。

印象派が誕生する約100年前にヴェネツィア派の画家が描いた作品は、明るい光りに包まれ、柔らかで大らかな表現が印象派を思わせる。

ビュールレは印象派を中心に据えながらも、絵画表現が時代を越えてどのように影響しあっているかを探った。

ビュールレは>印象派とモダンアートとの繋がりも見つめていた。
それがセザンヌの『赤いチョッキの少年』。

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鮮やかな赤いチョッキ、異様に伸びた腕。
現実を越えた色と形の構成が見る人の感覚を揺さぶる。
セザンヌの斬新な絵画表現は、のちのキュビスムに大きな影響を及ぼした。

睡蓮の池、緑の葉。

高さ2メートル、幅4メートルの大作。
部屋を埋め尽くす壁画の一枚として描かれた。

モネは自宅に作った睡蓮の池で一日中うつろう光の変化を観察し描き込んだ。
額縁から絵画を解き放ち部屋を様々な睡蓮が囲む、という時代を先取りした構想は理解されず買い手がつかなかった。
しかしビュールレは、それら一連の作品が持つ価値を見抜き購入。

『睡蓮』が広く認められるようになるのは、その数年後のこと。
独自の視点で作品に向き合ってきたことがコレクションの価値を高めた。
「選ぶもののスタイルがコレクションの性格を決めます。このスタイルが際立っていればいるほど、コレクションは それ自体が創造物と見なされるようになり資金や労力をかけたことが報われるのです」

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約20年かけて作品を集めるなかでは、贋作を購入してしまったり、戦時中の略奪美術品に関する裁判を起こしたり、色々あったんだなぁ、と図録の略年譜を見ながら 思うのでした。

1つ不思議なのは、コレクションに関する遺言や指示書をのこしていなかった、という部分でして。これだけ資金と労力をかけたものの行く末を案じていなかった訳はないと思うのですが、さてはて。

生前、チューリヒ美術館に永久貸与するという提案にも同意していなかったというし。

さてはて。御本人は、どうしたかったのかしら。

でも、最終的には2020年に完成するチューリヒ美術館の新館に常設展示されることが決まったとか。
盗難もあったり、管理的な面でも財団で所有するのは大変なんでしょうねぇ。

若冲などの作品で知られるプライス・コレクションも、プライス家のお子さんたちが治安などのこともありコレクションを持っているのが怖い、と仰ったとか。
それで、アメリカと日本にコレクションを置きたいとプライスご夫妻がテレビで仰っていたけれど。

はてさて、その話は進んでいるのかしら??と思う今日この頃です。