展覧会

『ボッティチェリとルネサンス フィレンツェの富と美』の動画について

2015年3月21日~6月28日までBunkamuraザ・ミュージアムで開催されていた

ボッティチェリとルネサンス フィレンツェの富と美』展。

 

会場に流れていた動画を見ながら書いたメモを書き起こしてみました。

 

また、なるべく正確に書き起こしたつもりですが間違っている箇所があるかも

しれませんのでご容赦くださいませ。

 

 

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イタリアの古都フィレンツェ

14~16世紀にかけルネサンスという芸術の黄金時代を築き上げた。

 

新たな扉を開いたのは毛織物や金融業などで莫大な富を築いた多くの商人たち。

 

その中で、もっとも大きな力を付けたのがメディチ家

街の至る所に見られる飾り、これがメディチ家の紋章。

 

メディチ家を大富豪へと押し上げたコジモ。

まさに王者のように君臨した孫のロレンツォ。

2人はメディチ家の繁栄を築きルネサンスの原動力となった。

 

そのパトロンとしての偉大さを証明するのがウフィツィ美術館

400年にわたるメディチ家のコレクションを核とした名品の数々が展示されている。

 

中でもルネサンスを代表する画家ボッティチェリの作品は美術館の至宝。

 

メディチ家は、どのようにルネサンスという美の黄金時代を築き上げていったのか?

 

15世紀半ばのイタリアはフィレンツェ共和国を囲むようにナポレオン国や

ミラノ公国ヴェネチア共和国など小さな都市国家が覇権を争っていた。

この頃フィレンツェで政治や行政を動かしていたのは織物業や金融業など主要産業の

同業者組合の代表メンバーたち。

 

13世紀に初めてフィレンツェで作られたフィオリーノ金貨。

ヨーロッパ全土に普及し国際通貨として高い信用を得ていた。

 

銀行業で大富豪となったコジモ・デ・メディチ

祖国の父と呼ばれるほどフィレンツェ商人たちの中で絶大な力を持ち君臨。

 

メディチ家が、どれほど資産を持っていたのかを示す資料。

カタストと呼ばれる納税申告の記録。

 

1457年の記録では納税額は576.151フロリン。

納税額上位の大富豪たちと比べても群を抜いて最高の金額。

 

ではメディチ家は銀行家として、どのように巨万の富を手にしたのか?

 

当時、利子を取っての金貸しは教会法によって厳しく罰せられ、軽蔑と非難の

対象になる職業だった。

そのため、銀行でのお金の貸し付けは出来なかった。

 

では、一体どうやって設けたのか?

 

メディチ家は罪に問われないような貸し付けの仕組みを巧みに利用していた。

それが為替手形

当時、商人たちが国外に買い付けにいくのに現金を持ち歩くのは危険なため

今でいうトラベラーズチェックのようなものとして為替手形を利用し外貨の両替を

行った。

その交換レートによって大きな利益を得た。

 

こうして莫大な資産を手にしたコジモは街の一等地に豪邸を建てた。

室内を飾る豪華な壁画の中に、その姿まで登場している。

 

そのコジモが富をつぎ込んだのは文化や芸術。

パトロンとしての活動を情熱的に行っていく。

 

大聖堂を始め様々な教会の増改築にも巨額の資金を出資。

多くの建築家や画家たちに活躍の場を与えた。

 

さらにラテン語に精通し教養深いコジモは当時貴重であった古典資料の収集をし

一般に公開されたものとしてはヨーロッパ初の図書館を作り上げる。

 

 

コジモに代わってメディチ家の繁栄を支えたのは、孫のロレンツォ。

ルネサンスの黄金時代を築く。

 

政治や外交に手腕を発揮したロレンツォは”豪華なるもの”と呼ばれ、フィレンツェ

イタリア半島の強国に押し上げた。

 

一方、文学や芸術にも造詣が深く別荘に多くの哲学者や詩人、芸術家たちを集め

古代ギリシャ、ローマの古典を研究し自ら誌を読んでいる。

 

「青春はうるわし されど逃れゆく 楽しみてあれ 明日は定めなきゆえ」

 

 

人間的なものの見方が尊重され、自由な表現を謳歌した時代。

ロレンツォが最も信頼した画家がボッティチェリだった。

ルネサンスを象徴する代表する『春 プリマヴェーラ

結婚する いとこのためにロレンツォに依頼された作品と言われている。

 

ボッティチェリはロレンツォが主催するサロンで出会った哲学者や詩人との

交流によって人間的な喜びに溢れた作品を描いた。

 

ボッティチェリは、どんな画家たっだのか?

 

ルネサンスの芸術家たちについて書かれた『芸術家列伝』。

この中に、ボッティチェリについての記述がある。

 

「小さいころから絵に夢中になり、デッサンの巧みさは別格で、愉快で悪戯好きな

 青年」だったようだ。

 

 

工房で修行していたころの、初期の作品が『ケルビムを伴う聖母子』。

黄金の光に包まれた聖母子の姿。

周りに金貨の模様があることから、両替商組合からの依頼で描かれたものと言われている。

(公式ホームページのコチラで見られます。画像拡大の文字をクリックすると、周りの

 金貨の模様も確認できます。)

 

ボッティチェリがロレンツォと出会ったのも、この頃だった。

 

やがて独立したボッティチェリは盛んに聖母子を描いている。

華やかな色彩と優美な表情。その豊かな感情表現が注目され名声を得ていく。

 

ロレンツォの庇護のもと、画家としての円熟期を迎えボッティチェリは次々と名作を

生み出していく。

 

しかし、メディチ家の時代に陰りが見え始めてきた。

 

銀行経営の悪化、周辺諸国との争い。

そんな時に登場したのが修道士サヴォナローラ

 

メディチ家支配による退廃的な風潮を痛烈に批判し、後年には高価な装飾品や

官能的な絵画などの一部を焼き払った。

その中には、ボッティチェリの絵もあったと言われている。

 

ロレンツォは43歳という若さでこの世を去り、やがてメディチ家は追放され

ルネサンスの時代は1つの終焉を迎えた。

 

しかしメディチ家が愛した絢爛たる美の世界は、次なる時代へと受け継がれて

いくことに。