見どころ満載、調べるほどに面白い《松島 瑞巌寺と伊達政宗展》。
いよいよ、展示室も残り2つとなりました。
Contents
展示室6 中世の松島
五大堂について
関ヶ原の戦いで徳川家康の東軍につき、五大堂に先勝を祈願した伊達政宗。
戦勝の御礼として慶長9年(1604)に五大堂を復興。
政宗の師匠・虎哉宗乙のすすめで円福寺の復興を決め1609年に落慶したのが現在の国宝の本殿。そして、寺名を円福寺から瑞巌寺へと改めたそうです。
で、円福寺になったのは鎌倉幕府5代執権・北条時頼のときで。その前は、延福寺と言い平安時代に慈覚大師円仁が開いた、と。
延福寺が創建されて以来、松島は霊場である、と説明にありました。
高野山金剛峰寺恐山と同じ霊場!
知りませんでした。
霊場の中心と言われるのが雄島(おしま)で、現在は橋でわたることができるほど陸と近いそうです。
なるほど、確かに近そうな感じが。
松島へ行ったら、ぜひここも立ち寄りたいものです。
《板碑(いたび)》
この雄島で見られるという《板碑(いたび)》。
どうやら供養塔の一種のようでして、故人の極楽往生祈願的な意味合いがあるようです。
こちらのホームページに板碑の写真と詳しい説明が。
海に浸かっていた板碑は真水で一年間塩抜きをするとか!
そういった過程を経てるなんて、ただ展示を見ているだけの私は知るよしもなく。作品の保護、研究にはそういった努力も積み重なっているんですね……
本堂 平成大修理
そして話は、国宝である本堂の平成大修理へ。
平成20年~25年までの工事の過程が、工事を担当した会社のホームページで見られます。
www.kajima.co.jp
中央方向へ傾斜してしまった柱の歪み、使用に耐えなくなった木材や瓦は新しいもので補修されたそうです。
その過程で屋根裏や長押(なげし)から経木塔婆が多数発見されたとか。
塔婆には法華経の一節が書写されていると。
あとは造営の作善に結縁して納入するために用意したと思われる壺型の蓋付き香炉《志野焼蓋付香炉》などが展示されていました。
展示室7 伊達政宗とその周辺
いよいよ、ラストの展示室。
《伊達政宗書状 (小田原参陣)》
まずは《伊達政宗書状 (小田原参陣)》。
仙台市博物館のホームページで見られます。
切腹覚悟で秀吉に謁見したという伊達政宗。
その時の様子を家臣へ手紙で知らせたそうです。
私がその書状を一目見て、どんな感想を持ったかと言えば漢字ばっかり!という。
この時代、手紙を書くときは普通は漢字だけだったのでしょうか??
しかも、とても字が綺麗とは言いかねる気がしたのは私だけでしょうか。よほど急いで、自分の無事を知らせたかったからなのかな、と妄想。
簡潔ながらまさに伊達政宗の安堵の気持ちがにじみ出ている、と説明にありました。
仙台市博物館のホームページの説明によれば、花押を書き間違えているそうで、天下人と初めて会えたことに興奮したのだろうか的なことが書いてありました。
そうかー、そうだよねぇ、興奮するよねぇ。
5日に着陣して、謁見できたのは9日。その間、どんな心持だったのでしょう。
10日には茶の湯の席で名物・名刀を拝見したそうです。この茶の湯の席で、千利休にお茶を習いたいと申し出たのかしら??
《伊達政宗書状(浅野長吉宛)》
《伊達政宗書状(浅野長吉宛)》には、聚楽第で茶入れや風炉の小板等下され、お点前にて一服下された等々書いてあるようで。
そうですか、伊達政宗は聚楽第を実際に見てるんですねぇ。
金箔瓦を使っていたり、かなり豪華だったという噂を聞いたのですがどんな感想を持ったのかは書き残してないのかな~。
金箔瓦の写真は、こちらで見られます。
と、展示から話がずれてしまいました。
《伊達政宗像 雲居希膺賛》は、こちらで見られます。
政宗は瑞巌寺の住持に雲居希膺(うんごきよう)を招請したようですが寛永13年(1636)の5月に政宗が他界。
2代藩主の忠宗が引き続き来山を求め、ようやく8月に雲居が入山したそうで。はてさて、すぐに入山しなかったのにはどんな理由があるのでしょうか。
《紫羅背板地五色水玉模様陣羽織》
9月23日までの展示だった《紫羅背板地五色水玉模様陣羽織》。
仙台博物館蔵だそうで、写真はこちらをご覧ください。
かなり斬新なデザイン!
羅背板(らせいた)というのは羅紗より薄手の毛織物で、ポルトガル語のラセイタ(raxeta)が語源だそうです。
で、インターネットのポルトガル語翻訳サイトでraxetaを入力してみたのですがヒットしないのは、なぜなんだろう??
紫の地に大小の赤・青・緑・黄・白の五色の円形模様を散らした陣羽織。
地を円形に切り抜き、そこに色を変えた円形模様をはめこむ切嵌(きりばめ)という技法だそうです。円の輪郭は打紐でふちどりしているとか。
背には大きく伊達家の家紋である竹雀紋(たけにすずめもん)を金糸で刺繍。
ついつい、水玉に目がいきがちでしたが刺繍も美しかったなぁ。
で、ここから先のことは美術館の説明にはなかったのですが。
仙台市博物館の説明によると、これは伊達政宗の時代よりも新しいものである可能性がある、と。なんと!
それから明治時代の伊達家の宝物目録には”紫地羅背板五色乱星”という記載があるようです。
水玉ではなく、星という捉え方だったんですね!!
そうですよねぇ、実際の星を見ても☆には見えないものなぁ。
☆=星と認識するようになったのは、いつからなのかしら。
《黒漆五枚胴具足(伊達政宗所用)》
《黒漆五枚胴具足(伊達政宗所用)》は、おおー!これが!と。
弦月形と呼ばれる月の形をした兜の前立て。
これこれ!渡辺健さん演じる伊達政宗で見た見た!って思ってしまいました。
これがまた、ものすごい綺麗だったんです。見に来ていた方々も口々に、これは本物?と仰るぐらい。
胴の部分は鉄板を5枚組み合わせ、蝶番でつないだ”五枚胴形式”と呼ばれるらしいです。
吹き返しが梅花透かし、とのことで一生懸命探しました。
なにせ、専門用語を知らないもので。
こちらに細かな説明が。
吹き返しも、昔(伊達政宗の時代以前)はもっと大きかったとか。なるほどなー。
と、展示室7についてはあまり書けぬうちに長くなりましたので今回もこれで一旦〆ようと思います。
次こそ、次こそ最終回となります。たぶん。
そして来週末、もう一度見てこようと思っています。半券を見せると、リピーター割引きで団体料金で見られるというし。
《松島 瑞巌寺と伊達政宗展》 展示室5《 》《松島 瑞巌寺と伊達政宗展》 展示室7 その②