第2章その①は、こちらです。
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『芥子花』福田平八郎
徹底した写生を心がけていた。写生の対象からまず強く感じるのは
色であり「色彩を追及しているとしぜんに対象の形を捉えることが
できる」という。
京都発祥の琳派が好んで取り上げたモティーフで意匠性にとんだ画面や
『筍』福田平八郎
『芥子花』も、この『筍』も、私の抱いている日本画の枠を打ち破るような
明るさと軽やかさを感じました。
もちろん日本画が暗いという訳ではなく。
私が勝手に思っている日本画の質感みたいなものより、とても軽やかだな、
という印象を受けました。余白が絶妙、とメモってました。
会場に福田平八郎の言葉が紹介されていました。
『私の写生帖』
私は写生をするのに主に色鉛筆を使って居る。
写生の対象から先ず何を一番強く感ずるかと言うと形や線よりも先に
色彩を強く感じる。
花や鳥の色彩と形とは、もともと分つことのできない関係にあるわけだが
はっと注意した時、先ず色の方に強く刺激されるのが自然だろうと思う。
また、われわれのように近代的な教育を受け、さらに西欧の近代美術に
親しんで、そこからいろいろと影響をされて来た者は、むかしの人と
違って感覚のはたらきも変わって来て居るから、どうしても対象の色彩を
強く感ずることになる。
そこで私は、一番強く刺激を受けた対象の色彩を追及する、そして、
この色彩を追及して居ると自然に対象の形を捉えることができる。
それを私は色えんぴつを使って自由にやって居る。
また直接写生帖へ最初から絵具でやることもある。
対象物の本質がよく判って来るとその本質を表現するのには時には
どう言う線がよいか、と言うことを研究することになる。
『牡丹』福田平八郎
満開の花が咲きほこる牡丹の木々を大ぶりに表した初期の大作。
裏彩色を駆使し、花びらの繊細な質感や柔らかな色あいまでも再現
しながら全体として幽玄な世界が創出されている。
そうそう、私の日本画というイメージはこの絵の感じだなぁ、と。
その画風が変化していく過程も見てみたいなぁ、と思いました。
『木精』山口華楊
伝統的な円山四条派の写実から出発し、穏やかな画風で動植物を
描いた。
『木精』について山口華楊本人は
時間があれば庭に出て小屋の中の生き物たちを観察し、その動きを
写生した。
すぐに本画にするつもりはなくても、日々の勉強として写生するのを
常とした。
その写生が何十年かのちになって本画に生きてくることがある。
昭和51年に発表した『木精』がそうだった。
この絵は北野天満宮の境内にそびえる欅の老木、しかもその根の
地表に露出した部分の複雑な絡みぐあいを描いた作品である。
根節の入り組んだ曲線が私の眼をとらえたのである。
この絵の根節の一隅にミミズクが一羽描かれている。
このミミズクこそ戦前にわが家で飼っていたものなのである。
木の根をいかに描くか、写生をしながら構図を考えていた時に、ふと
ここにミミズクを配したらどうだろうか、とひらめいたのである。
現実にはこのような光景はなかった。
記憶のミミズクが、なにかの拍子に立ち現れて木の根に止まったので
ある。
写実に立ちながら緻密には写実ではないのである。
『生』山口華楊
戦前のある夏の日、写生旅行で訪れた山陰・但馬地方の村で
生まれたばかりの仔牛に出会い「生まれ出るものの美しさと生命の
不思議さ」に心打たれた。
動物好きを自身の「本性」と語っており、その真骨頂が発揮された
作品といえます。
以前、山種美術館でこの作品をみたとき写生してから20年後に
本作が誕生した、という説明が。
そのときの感想が、こちらです。
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山口華楊作品の独特な緑色が好きでして。
この2つの作品をみると、心が穏やかになるのでありました。
時代背景、そして画家本人のことばが紹介されていることで、よりその絵から
感じることが多くなる気がして、今回の展示は特に愉しめました。
こちらも早く見に行きたいと思う今日この頃です。