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『國華』を読んでみたいと思ったら……という話。

※ 記事内に商品プロモーションを含んでいます

平成館で開催中の《名作誕生展》。

なんでも『國華』という雑誌が創刊130周年を迎えるそうで、それを記念して開催されているとか。

『國華』?

なんと、アマゾンでも入手可能。しかも、毎月20日に発行されているんですね。
それにしても、そのお値段が驚き。簡単に買えるものではなかった。

平成館のロビーで『國華』に関する映像が流れておりました。

美術の研究と教育を通じて明治維新後、日本美術の展開に大きな影響を与えた岡倉天心が東京美術学校(現在の東京藝術大学の前身)を開校した明治22年。

その年に、岡倉は美術雑誌『國華』の創刊に携わる。

『國華』は日本、東洋美術の研究雑誌で、創刊以来発行本数は1460を越え現在も続く美術雑誌としては世界最長寿。

『國華』は岡倉天心と内閣官報局長などをつとめた高橋健三らによって創刊され、日本美術に関する奨励、保存、監督、教育などの意見を述べること、そして絵画、建築、美術工芸の保持、発展の方針を示すことを目的とした。

創刊号に掲載された創刊の辞にある「夫レ美術ハ國ノ精華ナリ」 という言葉が『國華』の由来とか。

主な役割は2つ。

1.最新の学術的な成果を論文として発表すること

2.日本や東洋美術の名作を良質な図版で紹介すること

伝統的な多色摺り木版画と、当時最先端だったコロタイプ印刷を使って豪華で魅力的な雑誌という評価だった。
当時、盛り蕎麦が一杯1銭だった時代に『國華』は一冊1円。

質の高さを追求した高価な雑誌は、ほどなく経営危機に見舞われたとか。
それを救ったのが高橋と交流のあった朝日新聞の創業者・村山龍平と上野理一。
美術の愛好家であった彼らは私財を注ぎ込んで経営を支え、危機を切り抜けられた。

昭和になってから経営は朝日新聞社が担うこととなり、國華社による編集を支えている、と。

1923年の関東大震災で所蔵していた原板を全て失うも半年後に復刊。

太平洋戦争の末期には紙の不足からサイズを縮小して発行を続けるも、さらに戦局が激化し休刊に。
しかし終戦の翌年には戦前と、ほぼ変わらぬ姿で復刊。

現在は日本美術史、東洋美術史研究の第一人者12人で構成された編輯委員会で雑誌編集が続けられてるそうです。

(映像には岡田美術館の館長・小林忠さん、辻惟雄さん、静嘉堂文庫美術館の館長・河野元昭さんたちのお顔が)

日本や東洋のコレクションを持つ多くの欧米の美術館も定期購読されており、高い評価を得ている雑誌とのこと。

小林さん曰く

鑑賞や研究の対象になるということで、國華アーカイブなどとよく言われ
ますけれども『國華』に紹介された文化財作品が累々と溜まってきている、という。
しかも高度な内容で歴史を繋ぎたいと思っています。

今回の展覧会でも『國華』の初期の頃から紹介された作品が展示されているそうです。

例えば再び注目を集めている江戸中期の絵師・伊藤若冲。
明治24年に伊藤若冲の鯉の絵が掲載されているとか。

また、一つの展示室を占めている巨匠・雪舟も『國華』で早くから紹介され、大正7年に創刊された『國華』のなかに、後期展示される『天橋立図』が紹介されている、と。

小林さん曰く

名作が、単に天才によって生まれたものではなくて伝統につなげて
創造というものが生まれてくるんだ、そのあたりを見やすく展示させて
いただけたんじゃないかと思います。

当時、盛りそばが1銭で、『國華』が1円。

えっと、ウィキペディアによると1銭=0.01円。
お蕎麦が100杯分=『國華』。

えー今は盛りそばって、いくらなのかな。
お店によって、まちまちだろうけど。
1杯600円と勝手に仮定すると、10杯分で『國華』が買えるようになったということですね!そう考えると、凄いお得じゃないですか!?
って、じゃあ買いなさいよってことになるわけですが。

きっと私には豚に真珠、うさかめに國華。

いやぁ、まったく知りませんでした。美術系雑誌では最長寿のものが日本で出版されているだなんてねぇ。

図録の最初に、小林さんによる『國華』の詳しい歴史が載っているのでじっくり読もうと思います。

それにしても、『國華』の発音が私の想像と違っていて驚きました。こっ↑か↓ だと勝手に思っていたら、こっ→か↑だったんです。
えーっと、コッカースパニエルの発音とでも申しましょうか。

ま、そんなことはさておき。

展示内容も、今まで写真でしか見たことがなかったものが何点も見られて初めて洛中洛外図屏風 舟木本も見られて、ミュージアムシアターで教えてもらった箇所を探したりして楽しむことができました。

後期のみ展示のものもあるし、もう一度、酒井抱一の『白蓮図』も見たいし、さて、いつ行こうかな、と思う今日この頃です。