現在、東郷青児記念 損保ジャパン日本興亜美術館で開催中の《ターナー展》。
その美しい風景画や挿絵などを水彩画・油彩画・版画とバリエーション豊かに楽しめ、かつ版画の細かさに目を見張りながら楽しんで参りました。
版画の繊細な線を見るのに、ものすごく作品に近づいて見てしまったのですが私史上最高に作品に顔を近づけて見てしまったのですが。
それでも係の方に注意されること無く、存分に見せていただけたのが大変嬉しかったです。
展示品とのスペースがしっかり取られているような展示になっていたら、楽しみが半減してしまったかもしれません。いやぁ、凄かった。
この日の午前中に《ミラクルエッシャー展》へ行きまして。
版画って、こんなにも面白く、繊細で、表現豊かなものなのか!と驚いたばかりだったので。一日、版画に圧倒されておりました。
で、色々なターナー品を見つつも。
ターナー自身のエピソードにも、ついつい惹かれてしまいました。
なので、ターナー展へいったけれど作品のことに触れるのは少なめな感想をば。
展示の冒頭は『マームズベリー修道院』
展示室に入った途端、見知らぬ方がお連れの方に「この絵は17歳のときの絵なんですって!すごいわよね」と話していらっしゃいました。
うーん。素晴らしい。17歳にして、この美しい作品を。
作品の大半はスケッチや彼の恐るべき記憶力をもとにアトリエに戻って
から制作された
そうですか。絵の才能だけでなく、素晴らしい記憶力までをも。
ターナーは1819年8月から1820年2月にかけてイタリアを訪問したそうで23冊のスケッチブックに約2000点の素描を残したと言われているとか。
ただ、ローマでの素描はポケットに入る程度の小さなスケッチブック&鉛筆のものが多いそうですが。ですが、すごい量ですよね。
パリに数週間滞在したときも、ルーブル美術館で絵画研究をし習作のスケッチブックも残っているとか。
ターナーは「とにかくあくせく働くこと」と語っていたそうで、絵の才能+記憶力+努力+継続力という私にはないものばかりを持っていた感じ。
ターナーの親族には芸術家がいなかったようなのに、突如としてこのような絵の才能豊かな人材が生まれてくるというのは面白いというか。
お父さんは理容師さんだったそうですが、彼の絵の才能を認めていてターナーが模写した作品を店に飾ったり、販売していたとか。
ターナー少年、当時12歳。
で、この絵にも犬がいるのですが。
ターナーの作品には、結構犬が登場している印象を受けました。
当時の街には本当に犬が多くいたのか、それともターナーが犬好きだったのか。
『メリック修道院、スウェイル渓谷』
インドネシア中南部にある山の大噴火により世界的な悪天候が続いていて、この絵の舞台であるヨークシャーを訪れた際も雨続きだったとか。
ものすごい広範囲を悪天候にするほどの噴火。恐るべし。
ターナーが友人に送った手紙には
できるだろう
と書いてあったそうです。
申し訳ないけれど笑ってしまいました。すごく生真面目な感じが勝手にしてたけれど冗談もいえる人なんだな、と。いや、もしかして当人としては冗談じゃなかったとか??
それにしても、図録を読んでいると「スケッチブックが残されているため、本作品のもとになったスケッチがある」といった記述が多くみられました。手紙もそうですが、スケッチブックも残っているなんて。
と思ったら、ターナー自身が遺贈しているものも多いそうで。
約300点の油彩画、3万点のドローイングや水彩画、版画などを含む
紙作品、そして、約280点に及ぶスケッチブックによって構成されて
いる
生前から評価の高かった画家だったようなので、遺贈も認められ現在に至るまで散逸することなく保護されてきたんですねぇ。そういう画家もいるんだなぁ。
『ストーンヘンジ、ウィルトシャー』
最初、ちょっと状況が分からなくて。
ストーンヘンジに気を取られ、あれ。なぜ羊が地面にひれ伏しているの??と。
ようやく、白く縦に伸びているのが稲妻ということに気づくのでした。
稲妻は暗闇に光るイメージしか持ってなかった自分の引き出しの少なさよ。
私は絵よりも版画の方がその凄惨さが伝わってきて背筋がゾクゾクっと。
羊だけでなく、羊飼いも……うーん。
しばらくは、ストーンヘンジをテレビなどで見かける度にこの絵を思い出しそうです。
『風下側の海辺にいる漁師たち、時化模様』
1802年に展示されたこの作品をターナーは気に入っていたらしく。
1842年に競売にかけられたとき、この絵を買い戻そうとしたが実現しなかったそうです。40年経過しても欲しかったなんて、本当に好きだったんですね。
ターナーは釣りが好きだったそうで、水中の切り株か根っこに誤って釣り糸を絡ませてしまったときに
と言ったとか。
道具を大切にした方なのかなぁ、それにしても細かいエピソードまで残ってしまう人気者って大変だ。
後世まであることないことも伝わってしまう可能性もあるし。
彼はただ釣りをしていただけでなく、水の動きや光が水面に反射する様子をみておりそれが作品に生かされているのではないか、と。
なるほど、趣味までもが仕事に活きるという。
『ファルマス港、コーンウォール』
画面左の河口の波を表現しているところに”スクラッチングアウト”という技法が使われているとか。
スクラッチングアウト??
図録には丁寧な説明のほかに、ターナー水彩画技法用語集なるものもありまして初心者にはありがたい限り。
紙の表面を引っ掻いて色を削り取る技法。
色を塗った部分にハイライトを入れることができる。
ターナーは、特にこの技法を行うために、親指の爪を長くしておいたと
言われている
親指の爪、長かったんだターナー。
いろんな小さなエピソードで、勝手に私の脳内に出来上がっていくターナー像。
ターナーが何故に版画を制作したのか?も興味深かったです。
ターナーが版画を制作した大きな理由は3つ。
① 版画によって、自分の作品を普及させようとしていた
② 版画が旅行ガイドの役割を担っていた
③ 版画そのものの芸術的価値を認識していた
ターナーは版画の質にこだわり、自分で彫版をすることもあったそうですが、彫版師の仕事を監視、厳しく指示を与えていたので多くの彫版師と口論したとか。
自分が彫れるからこそ、もっと完成度が高くなることを求めたんだろうけれど。
「じゃあ、自分で彫ったらいいじゃないか!」とか言い返されてそうだな、と勝手に妄想しておりました。
彼のデッサン、水彩画、油彩画をもとにして銅版画800展以上が制作され、80人以上の彫版師に仕事を与えることになったというのも、すごい仕事量ですよね。
しかも人に任せないで、自分が厳しく管理するんだから。いやはや、すごいバイタリティ。
版画の技法に”メゾティント”というものがあるそうで。
黒から灰色、白色にいたるまでの明暗の段階を表現することができる
けれども、暗くなりすぎる特性もあったとか。
『イングランドの港』という作品は、銅版よりも硬い鋼板に彫版することの技術的な問題や、メゾティントの暗くなりすぎる特性によりターナーが作品の仕上がりに満足しなかった、と。
(でも彼の死後に出版されたそうですが。あの世から怒っていたかも??)
《ミラクルエッシャー<展》で、このメゾティントのことも出てきまして。
基本的に暗い諧調のメゾティントの版画を明るく表現したり、
明るい造形をなぞったうえに、暗く力強い背景を作り出すことで、
メゾティントの性質をリトグラフで摸倣したりしているのである。
こうした技法のトリックには、各々の技法に対する極端と言えるほどの
習熟が必要であり、エッシャーはそれを手にしていたのである。
100年の差もあり、その間に版画の技術が上がってきたと思われるのに、それでもメゾティントは難しかったのですねぇ。
そして、ウィキペディアでターナーは黄色が好きだったけれども緑色が嫌いでなるべく使わないように苦心した、という部分を読んで大笑いしてしまいました。
あんなにも風景画で木々を描いているのに、緑を使いたくないって?!
図録をパラパラとめくりつつ、緑色を見つけては笑ってしまう今日この頃です。