ウフィツィ美術館 PR

ウフィツィ美術館展 其の弐

※ 記事内に商品プロモーションを含んでいます

そういえば、ウフィツィ美術館展では展示の最後に美術館の成り立ちに関する映像が流れておりました。

一生懸命メモったものがあるので書いておこうと思います。

 

ちなみにウフィツィ美術館展について書いた其の壱は

 http://usakameart.syuzyu.com/entry/2015/01/19/212200

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イタリア・フィレンツェ。この街でルネサンスが生まれた。

15~16世紀の黄金期には数多くの芸術家が誕生。

特に世紀の変わり目にはボッティチェリをはじめダヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロたちがフィレンツェで芸術活動をしていた。

 そのフィレンツェの代名詞とも言われるのがウフィツィ美術館。

 13世紀以降、金融業で莫大な富と権力を持ったのがフィレンツェの一族メディチ家。

一族は自ら私有する、あらゆる建築や室内装飾を同時代の芸術家たちに依頼することでパトロネージ(芸術擁護活動)を推進。

 芸術は、時のメディチ家当主の個人的な趣味だけでなく一族の富と権力、教養までも誇示する極めて重要な手段だった。

 メディチ家によって建設された数多くの建築、装飾により、フィレンツェは芸術で溢れていた。

 

15世紀半ば。

メディチ家の力はヨーロッパ全域に影響を与えるほど絶大なものに。

ルネサンスはまさに黄金時代を迎え、その最大の貢献者は若干20歳でメディチ家の当主となって以降、生涯を通して芸術家の保護につとめた豪華王ロレンツォ。そのロレンツォが寵愛した画家こそボッティチェリ。

 

海から女神が誕生する瞬間を鮮やかに描いた≪ヴィーナスの誕生≫

ロレンツォの親族の婚姻に関係してると言われる≪パラスとケンタウロス≫

フィレンツェ、そしてルネサンスの絶頂期を象徴する≪春≫

ボッティチェリはロレンツォの庇護のもと、著名な文士や芸術家たちと交流し多くの素晴らしい作品を残した。しかし、ロレンツォは43歳の若さで世を去る。

その後、メディチ家はフランス軍のイタリア侵攻を許すなど急速に衰退しフィレンツェを追放される。

 代わって実権を握ったのは、奇しくもメディチ家ゆかりのサンマルコ修道院の修道士サヴォナローラ。

彼は衰退を招いた享楽に対する戒めと信心深い生活への回帰に市民も共感。サヴォナローラは、厳格な宗教にふさわしくない裸体の彫刻や絵画、工芸品など膨大な数の芸術作品を広場に集め、見せしめに燃やした。

こうして15世紀末、フィレンツェの政治的、文化的状況は一変。

 サヴォナローラの影響を受けてボッティチェリの華やかな画風も鳴りを潜めた。そしてボッティチェリは人知れずこの世を去る。

しかし、彼の円熟期の作品は幸いにもメディチ家の別荘に保管され次の時代へと受け継がれた。

 

16世紀半ば。周辺国との和解も、ありようやくメディチ家はフィレンツェに復権。

18歳でフィレンツェ候を継承したコジモ1世は、フィレンツェの都市改造に着手しはじめる。まずは政治の機能を一ケ所にまとめさせ、巨大な庁舎の建設を芸術家ヴァザーリに依頼した。それがオフィスを意味するウフィツィの始まり。

 

ちなみにWikipediaによると

ウフィツィ」の名はイタリア語の Ufficio (英語の offices (オフィス) にあたる語)に由来する。

 

 続いて、13世紀に建てられたヴェッキオ宮殿と、アルノ川の対岸にあるピッティ宮をつなぐヴァザーリの回廊を建設。有能な軍人であり政治家であり、芸術のコレクションにも精力的だったコジモ1世はメディチ家の栄光を復活させるかの如く、歴代当主の肖像の数々をブロンヅィーノに依頼。

 

コジモ1世の子で、稀代のコレクターであったフランチェスコ1世はウフィツィの最上階の改造を命じ、メディチ家所蔵の絵画・彫刻を陳列する2つのギャラリーを作らせた。

その3年後には、八角形の特別陳列室トリブーナを設置する。これらが現在のウフィツィ美術館の原型となる。

 

 

18世紀 メディチ家最後の直系子孫となったのはアンナ・マリア・ルイーザ。1743年、彼女は世を去りメディチ家は終焉を迎える。彼女の遺志によりウフィツィに保管されていたメディチ家のコレクションは、すべてがそのまま寄贈され、フィレンツェを離れることなく現代まで残されている。

 

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いやはや、メディチ家の別荘に保管されていなければボッティチェリの作品でも見られないものがあったのかもしれませんね。

本人としては、サヴォナローラに傾倒する前の自分の絵が残ることをどう捉えていたのか分かりませんが……イタリアいいですねぇ。(突然の飛躍)

ゆっくりと街や美術館巡りをしたいと思う今日この頃なのでありました。