現在、千葉市美術館で開催中の【ルーシー・リー】展について学芸員の方からお話を聞く機会がありましたので、私が面白いな、と思った部分を書き起こしてみました。
「 」内は司会者の方、( )内は私の独り言や補足、何もカッコがついてない部分が学芸員の方のお話部分です。
読みやすいように語順を変えた部分もありますが、ほぼお話のままです。
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~展覧会でも流れている、ルーシー・リーへのインタビュー画像の話~
「僕、バーナード・リーチが評価してくれないと私たちは生きていけないの、みたいにルーシーが言ってるのが興味深いな、と思ったんですけれども」
「そんなにバーナード・リーチってイギリスの陶芸界ではドンみたいな感じだったんですか?」
イギリスの陶芸界自体が、そんなに広くはなく、狭い世界だったんだとは思うんです。そうゆう意味で、リーチの言うことがすごく大きかったんだと思うんです。
こんな作品もあり、あんな作品もありといった、そうゆう感じではたぶん無かったと思います。
ただ、(ルーシー・リーの作品は)リーチが考える陶芸ではない。当時としては、異色だったんだと思います。
製作上の作風と言う意味では相容れないところがあったとしても非常に関係は良かった、と言われています。
リーチには色々教わったというかリーチを通して影響を受けたものも大きかったと思いますし(リーチは)力があった訳だから戦後の苦しいというか、始めた時期に色々紹介された、という話が出てましたけれども。すごくリーチを尊敬したいた、と。
「写真で、リーチからもらった壺が出てきますけれども」
すごく大きな壺が。
あなたにピッタリだから持っててください、と(リーチに)言われて持っていて。リーチが亡くなった時に律儀に奥様に返しているんです。
それが大英博物館かな?に。前回の展覧会の時には来日していたと思うんですが。
(この壺を見てみたかったのですが、残念ながら私のリサーチ力では探せず。残念)
(今回の『没後20年 ルーシー・リー展』の図録、295ページに載っておりました!!かなり大きな壺でした。想像以上に、大きかったです)
白は好きだったようですけれども。
「これ見ると面白いのは高台の作り方が日本の焼き物と違くて、映像にも残っているんですけれども一括して下から作っていくんじゃなくて、上と下をくっつけるというやり方で。あれって多分、あの日本のやり方ではしないと思うんですけれども、上下をセパレートして作って途中で合体させるやり方っていうのは?」
あれですかね、コンビネーションポットの話かな?
首の長い・・・
パーツに分けてひくのは、本当に昔から、それこそアジアの。昔からの技法で。本当に色んなものを取り入れていて。
例えば、ルーシー・リー(の作品で)日本の茶碗に似てるとかもありますけれども。色んなものを見ている。それで、そこにあまりこだわりすぎずに吸収して、自分のものにしている、というところは。
「おじさんがお金持ちで、家に凄いお宝があったみたいのは影響してるかもしれないですね」
それはあるかもしれないですね。
実際に、長い旅に出させてもらったり、あとはウィーンの学生時代に先生方に色んなものを見せられたとか、環境は多かった、と。
たとえば、掻き落とし(かきおとし)というのが出てくるんですけれども、これなんかも古代の焼き物、日本でいう土器みたいな感じ・・・
「エイヴベリーの博物館で、鳥の骨で削った(骨で削って模様をつけた)っていう」(それを見て)あ、これいいわ、と。本当にソースは色々ですね。
ルーシー・リーは、掻き落としとか、スパイラル 土を混ぜて模様を出したりとか、絵付けと言う感覚ではないんですね。模様を作る、釉薬で形自体を変化させるという感覚。
陶芸って、汚れそうなイメージがあるんですけれども、ほとんど水を飛ばさないとお弟子さんたちがびっくりしていた、と。水浸しにならない、本当に最小限の水だけで、という話がでてました。
ルーシー・リーの技法上の特徴がいくつかあって、火が出る窯ではなくて電気の窯で焼いている。これは、場所が場所だ、というのもあると思うんです。
アパートの中で、火は出せませんから。
ルーシー・リーは焼き上がりをコントロールしたい、と言ったら変なんですけれども窯に任せた、というそういう態度ではないので、その辺はこの電気窯は合っていたのかな、と。
形をろくろで作ってから乾燥させて、そこで焼く場合が多いのですが、焼かずにそのまま釉薬を塗ったり、色を付けたりして、一遍に焼いてしまう、と。これが、陶芸をやっている方からすると凄くビックリするらしいんですが。
「普通、二度焼きしますけれども」
そうなんですね。素焼きをするのは、上から釉薬を日本の場合はザブンとかけてしまうことが多いと思うんですけれども、水気をかけたときにフチが変形したりとかしない為に素焼きをする。
ルーシー・リーは乾かして、水っぽいものをザッとかけるんではなくて、むしろ刷毛とかで。
アラビアゴムとか粘性を高めるものなど入れて、変に垂れたりしないようにして塗ってた、と。
そのまま焼いてしまうんですけれども、電気窯なので、一気にブァっと火が出るのではなくてだんだん時間をかけて温度が上がっていくらしくて、その間に釉薬と粘土が一体化して形として堅固(?うまく聞き取れませんでした)になると本人は言っていた。
フォルムと釉薬の一体化というのが狙いだった、と。
「ルーシー・リーは偽物とか出回っているんですか?」
一時期、出回っていたらしくて。最近じゃないです、もちろん。
そんなことがあってから、きちんとリストの整理を(人に頼んで)ある時期やってもらった、と。
もともと、すごい几帳面な人だったらしくて注文書とかは管理してるんですけれどもどれがルーシー・リーの本物か、というのが一旦そこで整理したんです。
「ボタンなんかは、例えばロンドンなんかに行くとルーシー・リーのボタンかもしれないというのが混ざっているかもしれない?」
ここで、ルーシー・リーの器を扱っていらっしゃる会社の方が登場。
『ボタンは、向こうではボタンコレクターの方がいて古いボタンを沢山集めている。すると、そうゆう人のコレクションの中に混ざっている時が時折あります』
「じゃあ今でも蚤の市とかで、たまたま古いボタン買ったらルーシー・リーだってこともありえるってことですよね」
「ボタンには(ルーシー・リーが作ったという)マークはあるんでしたっけ?」
『ビミニ工房というところで作っていて、その工房のマークが』
植木鉢のようなマークが。
(ボタンは大きさにもよるけれど、小さいのは2~3万円だとか)
「欲しいですよね」
前は手に入ってけれども、今はなかなか・・・っていう話が
『難しいですよねぇ』
ルーシー・リーの偽物(がある)かって話してましたけれど、釉薬そんなに多分複雑なものではないんだと思うんです。それで真似をしやすい、というのがもしかしたらあるのかもしれないですね。
技法の話に戻ると、(掻き落としは)金属のヘラを使って掻いていく。キューっとシャープラインを出すために。
指の跡とかついているものがありますが(他の陶芸家さんの話?)、あんまりそうゆうのを好まなかったのかもしれないですね。
最初の個展が1949年(当時47歳)。その後は個展だけでなく、海外の展示に出したり。
日本で大々的に(ルーシー・リーが)紹介されたのは1989年。古いところでは1957年に日本で「20世紀のデザイン展:ヨーロッパとアメリカ」展があり国立近代美術館の図録に(作品が)出ている、と言われています。
工芸品を専門にしている人の中では名前は知られていたけれども、一気に日本の一般の人たちに知られるようになったのは1989年の草月会館での展覧会という風に言われています。
(ちなみに、同じ年の ISSEY MIYAKE秋冬コレクションで、ルーシー・リーのボタンを使った服が発表されたそうです)
「昔の本読むと、ルーシー・リーの表記がルゥーシーになっていたり全部表記が違うんですよね」
ルーシー・リーのリあとに、小さくィがついたり(ルーシー・リィー)
余談ですけれども、中国系の人ですか?と何度も聞かれて。
「でも、ルーシー・リーで未だに世間の認識からすると、どこの国の人かな?っていう」
ありますね。作品見ちゃうと、アジア系かな、と。
「国籍自体は、イギリス」
(1948年にイギリス国籍を)取得しましたから。
日本での受け入れられ方というのは、焼き物ファンだけではなくてファッション誌などに取り上げられて、若い女性、今日も女性の方多いですけれども、すごく人気が出たと言われています。
三宅さんが自分のコレクションの中でボタンを取り上げられたのも大きかったと思うんですけれども、2002年、2009年、前回の2010年の回顧展も非常に多きかったんじゃないかといわれています。
(2002年 生誕100年記念 ルーシー・リー展~静寂の美へ 滋賀県立陶芸の森ほか2009年 U-Tsu-Wa /ルーシー・リー、ジェニファー・リー、エルンスト・ガンペール展 21_21デザインサイト
三宅さんとリーさんの出会いなども少々書かれています。
2010年 ルーシー・リー展 国立新美術館ほか)
(日本は)恐らくイギリスに次ぐ人気なのかな、と。
それに対して、生まれたオーストリアでは、本人が自分が生きているうちは個展はやって欲しくない、と。すごく複雑な気持ちがあったんだと思うんですけれども。
それで、最初に個展が開かれたのが1999年。
(1999年 ルーシー・リー ファイアード・クレイ展。オーストリア応用美術・現代美術館。ルーシー・リーが死去して4年後)
ようやく色々と調査が始まり、今回の新発見も、そうゆう流れからなんです。
「ルーシー・リーの歴史からいうと世界的に評価されたのはここ十年ぐらい」
本当に広くっていうのは、そうなんですよね。陶芸自体が、そんなにメジャーなアートではないというのがあると思うんですが。日本では、陶芸というのは大きな部分を占めてますけれども。
またまた長くなったので、次回へ続きます。