若冲展の特別記念講演で聞いた話を、メモを頼りに
書き起こしております。
usakameartsandcinemas.hatenablog.com
Yは司会の山下裕二さん
Tは辻惟雄さん
Jはジョー・プライスさん
Eはエツコ・プライスさんを表しております。
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スライドを使って、ジョー・プライス氏を紹介するコーナー。
■馬に乗っている人々の写真
Y「これはオクラホマ。ジョーさんの生まれ故郷。
右から2人目が幼いころのジョーさん。何歳ごろの?」
J「No」
E「あんまり覚えてないと思うんですが、5~6歳でしょうか。
真ん中が父親です」
■飛行機の前で笑顔で立っている男女の写真
Y「これが(ジョーさんの)お父様とお母様。
飛行機ですが、これは自家用飛行機」
Y「ジェットじゃないけれど、プロペラ。DC3という28人乗りの
自家用飛行機の前で。お父様はどうゆう仕事を?」
E「初めてパイプラインの溶接を始めた人物。高校を卒業後、専門学校で
溶接を学んで、パイプのコーティングをしたり」
Y「石油のパイプラインの溶接技術の特許を持っていらして、財を成された、と」
■男性2人の写真
Y「これが、お父様と建築家のフランク・ロイド・ライトと一緒にいる写真。
ジョンさんが大学を卒業されたころにライトが設計したプライスカンパニーの
ビルを建てることになったんですよね?」
E「大学の時です」
■ビルの写真
Y「これが完成したプライスタワー。確か19階建ての建物。
そして、今アメリカの文化財の指定されている」
E「一応、政府からは国宝になっているけれど、今年の8月に世界遺産に
なるかならないかが」
会場内どよめき。
Y「(現在は)いわゆる登録文化財みたくなっている」
プライスタワーの写真は、こちらで見られます。
うむむ、こんなにもスケールの大きな話になるとは。
Y「このタワー建設のために、ジョーさんはライトとお父様のコーディネートを
するような仕事をするようになったということでよろしいですか?」
E「このタワーの技術方面を彼(ジョーさん)がしていたので、父親とMr.ライトの
間に挟まってピンポンゲームのような感じで大変苦労した、と。
それでMr.ライトと交流があってニューヨークも一緒に行った、と」
Y「あとでまた出てきますが、ライトと共に行ったニューヨークのアンティーク
ショップで若冲の絵と出会われる、と」
■タヒチにて撮られたという写真。男女数名が映っていました。
タヒチにてとキャプションがついていましたが、どうやらこれはタヒチから
帰ってきた後、家でタヒチパーティーをやったときのものではないか?とエツコさん。
「それは失礼しました」と言った後、何事もなかったかのように
「次へ行きましょう」という山下氏。
■上半身裸で腕組みしてる若き日のジョーさんの写真。どうやら船の上にいる様子。
E「これが仕事が嫌になって、プライスタワーも完成するということで
帆船に乗ってサンフランシスコからタヒチに向かった」
Y「帆船を買われて、太平洋を」
E「買わざるを得なかったようです。映画俳優さんが持っていた帆船を(今までは)
借りていたが買わなければタヒチに到着しないとか、で」
帆船の名前は”ワンダラー”だそうで。
はて、どなたから買われたのかしら。
ここで少々、ジョーさんとエツコさんが押し問答を始めました。
Y「なんだか少々揉めているようで」
この絶妙なツッコミ。
山下氏に弟子入りさせていただきたい。
どうやらご夫妻の間で、年齢?年代?のことで食い違いがあったようでして。
Y「まぁ、この加山雄三風の写真は、いずれにせよ会社の仕事に嫌気がさして
太平洋の男となっておられた頃ですね」
■ご夫妻の結婚式(?)の写真
ここで会場から、「おお~」「可愛い~」という声が。
エツコさん、自分を指さしておられました。可愛らしい。
Y「これはどこですか?」
E「これは結婚してタヒチへ行ったとき。25(歳)と35(歳)のとき」
■日本の漁港らしきところに立っているご夫妻
ジョーさんはスーツ、エツコさんはお着物だったような?
”新婚当時、別府にて”とのキャプション
E「これは熊本かどこかに」
すかさず「別府みたいですね」とツッコミ入れる山下氏。
Y「ジョーさんが初めて日本に来られたのが1963年」
E「その時、彼は美術館に行ったりお寺に行ったりで私が案内した」
Y「案内した、それがきっかけだった。そして九州まで行かれてるんですね。
聞いた話だと、別府から京都までタクシーで行かれたと」
E「それは結婚前で。1963年の後半に(ジョーさんと)会ったんですけれど
1963年の前半に、彼はサンフランシスコから来ていた男性たち3名と
京都からタクシーで九州へ行き京都へ戻ってきた、と。
Y「そのタクシーの運転手も、さぞやびっくりしたでしょうねぇ」
E「その時、タクシーの運転手さんが皆生(かいき)温泉へ行ったらどうですか?と。
(エツコさんと出会う前の話なので、あとで聞いた話だそうです)
私は皆生温泉の近くで育っています。
男性3人、同じ旅館に泊まった時「ヌードルショーを見に行きなさい」と女将さんに
言われ見に行ったら実際はヌードショーだったらしくて。
非常に日本の山陰道を楽しんだ、と。
その後に私と出会って、君は山陰地方の人か、と」
Y「その話は初めて聞きました」
■ワイナリーにて 1972年のキャプション
Y「これは結婚されてしばらくたってからですね」
(ご結婚は1966年)
ここで辻氏が「これはねぇ、私が」と言いかけて、すかさず山下氏に
「先生、マイクをお願いします!」と叫ばれてました。
T「これは私が招かれてシアトル経由でカリフォルニアへ。
カリフォルニアのワイナリーで撮った写真です」
なんと撮影者は辻氏だった、と。
Y「そもそも、最初にプライスさんと会ったのは先生が東京文化財研究所に
お勤めの時だった?」
T「そうですね」
Y「それは誰かに紹介されたのですか?」
E「京都で、若冲の絵を探しているなら東京に ひじょ~に変わった先生が
いるから。あの先生も、一人で若冲研究しているから、と」
Y「要するに、一人で研究している人と、一人で集めている人」
笑いすぎて、お腹痛い。
私の文才じゃ、あの見事な掛け合いを再現できなくて申し訳ないのですが。
漫才でもやってますか?!ぐらいなテンポの良さで。
愉しかったなぁ。しみじみ。
Y「それから50年経って、ようやくこれだけ沢山の人が共感してくれるように
なって。
先生、この時初めてアメリカに?」
T「そうです」
■湖を見下ろせる高台にいる辻先生
E「レークタホのエメラルド・ベイという美しいところで昼食を」
Wikipediaによりますと
>タホ湖は、アメリカ合衆国カリフォルニア州とネバダ州の州境の
>シエラネヴァダ山中にある湖である。
T「1972年ですから、先生ちょうど40歳頃」
T「お若いですね。ちょっと、兆候はありますが」
そう言って、レーザーポインターで額のあたりをクルクル。
こ、この師弟関係面白すぎるんですけど。
辻氏、いじられても全く動じません。
■オクラホマにあったプライス邸の外観写真
ブルース・ゴフ氏が設計したそうで
Y「ブルース・ゴフは、フランク・ロイド・ライトの友人にあたる人で
プライスさんに若冲という存在を教えてくれたのがブルース・ゴフだった
訳ですね。そのことについて、プライスさん教えてください」
E「(ジョーさんが)オクラホマ大学在学中に、Mr.ゴフはオクラホマ大学の
建築学部長だったんです。
彼(ジョーさん)は建築学部の学生じゃないけれど、毎金曜日にクラシック音楽の
コンサートが放課後にあって、そこでMr.ゴフと知り合った。
その前に、彼が学生新聞に写真を出してMr.ゴフが「この学生に会いたい」と。
初めはMr.ゴフからジョー・プライスにアプローチした、と。
父親が会社の本社を建てたいと言った時に、Mr.ゴフに相談したら
Mr.ライトを紹介してあげるから、ということで」
■オクラホマにあったプライス邸の内部写真
E「これが居間です」
丸く大きな赤い玉を見て
Y「これは何ですか?!」
E「これは椅子です。今流行ってますけれど、当時非常にモダンな」
ここで、家の話を始めるジョーさん。
この家は3段階へているそうで
E「初めは(ジョーさんが)独身の頃。
ちょうど私がオクラホマに来た頃に完成していた。
キッチンが狭くて、半畳ほどしかなくて」
Y「増築を重ねられているんですね」
E「3回目は子供ができて、3階を自分のオフィスにするために」
と、またも長くなりましたのでここで〆ます。
これでまだ講演の3分の1ぐらいだったりします。
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