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若冲展 特別記念講演③

※ 記事内に商品プロモーションを含んでいます

若冲展の特別記念講演で聞いた話を、メモを頼りに書き起こしております。

 

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Yは司会の山下裕二さん
Tは辻惟雄さん
Jはジョー・プライスさん
Eはエツコ・プライスさんを表しております。

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オクラホマのプライス邸内の展示室

Y「(プライス邸内に)日本美術を展示するためのスペースを作られた。
 辻先生は、ここに行かれてるわけですね?」

T「(部屋の形が)六角形か、八角形か」

E「六角形です」

T「六角形ですね
 (ここで辻先生が色々と部屋の説明をされたのですが、私の手が追いつかず残念)
 非常に素晴らしい建物だったんですが、問題は この部屋の真ん中に池があること。

 これは驚いた。これは乾燥を防ぐためとか」

Y「先生は落ちてない?」

E「一人だけです、落ちた方は」

Y「その方、私よく知ってます」

E「皆、自然光で見られるようになってまして」

Y「このこだわりは凄くて。ナチュラルライト。
 日本の絵は自然光で見るべきである、と。人工照明でなく見られるようになって

 いる」

Y「残念ながら、この建物は放火によって燃えてしまったんですね。
 何年でしたか?」

するとエツコさんが客席の一番前に座っている男性に向かって
「先生、何年でしたか?私、すぐ先生に連絡して。何年か覚えてないんですけど」

あとで調べたところ、放火は1996年のことだそうで。
そしてエツコさんが「先生」と語りかけたのは小林忠氏ということが
のちのち判明しました。
Wikipediaによると、エツコさんは小林氏のもとで美術史を学んだそうで。

E「もうカリフォルニアへいった頃ですから、15年ぐらい前?」

山下氏自身はオクラホマの家へはお邪魔したことはなく、
カリフォルニアへ行ってから知り合った、とのこと。

若冲『紫陽花双鶏図』などが室内に飾られている写真

Y「今展示されている『紫陽花双鶏図』が見えます。
 プライスコレクションの中でも最も素晴らしい若冲の絵。
 手前にあるのは葛蛇玉(かつ じゃぎょく)という、ほとんど一般に知られていない
 名前ですがプライスさんが見いだされた江戸時代の画家と言っていいと思います」

■和風の部屋で食事をしている写真
 机の上にキリンビールのラベルが見えました。

Y「これは、かなり進んでますね」

(食事の話かと思いきや、辻先生の髪の毛の話でした)

Y「これはいつの頃か記憶ありますか?推定年齢は?」

T「ヒゲが生えているので、1つの年代を確定するあれなんですが…
 ちょっと覚えていない」

■ご夫妻、辻先生、山根有三先生の写真

Y「山根先生は、辻先生のさらに先生にあたられる方。
 プライスさんは日本にしょっちゅういらしていて、そのたびに辻先生および
 日本の研究者たちと交流を重ねてこられた」

MIHO MUSEUM前のご夫妻と男性の写真

Y「辻先生は、この3月までMIHO MUSEUMの館長でいらした。

 今回の若冲展にもMIHO MUSEUM所蔵の≪象と鯨図屏風≫などが出ていますが
 その美術館を夫妻が訪ねられた。
 こちら(の男性)は、この展覧会を監修されている小林忠先生です」

■現在のプライス邸の写真
 この写真は山下氏が撮影したそうで。

Y「これが現在のプライスさんのお宅。コロナ・デル・マーというロサンゼルス郊外の
 車で一時間弱ぐらいのところ」

こちらのページで、プライス邸の写真が何枚か見られました。

■プライス邸の敷地内の写真

Y「玄関入って、向こう側は太平洋に面していて。プライベートビーチになって

 います。
 外壁は木を一枚一枚貼り重ねて曲面を作っています。
 設計はどなたが?」

E「Mr.ゴフの一番弟子でMr.Bart Princeという方。
 Mr.ゴフもMr.プリンスも、どちらかというとガウディ系ですね。
 ガウディを大変尊敬していた」

■プライス邸のバスルームの写真

これだー!かなり前に雑誌で見たことあるーーー!
こちらで1枚写真が見られます。

Y「そしてプライス邸のバスルームは、モザイクで若冲の屛風を再現して
 います」

(≪鳥獣花木図屏風≫という作品を再現しているそうです)

雑誌で初めて写真を見たとき、なんだか面白そうなご夫妻だなぁって思った記憶が。
まさか数年後に、ご本人たちから直接お話が聞けるとは思いませんでした。

ジョーさんが掛け軸を広げている写真

Y「ジョーさんが広げている≪葡萄図≫は展覧会にも展示されています」

■≪葡萄図≫の落款がアップになった写真

Y「この作品には景和(けいわ)という落款があります。
 この展覧会には何点か景和落款という作品がでていますが、これは若冲
 ごく初期の作品。
 辻先生、景和落款の作品は30代と考えていいですか?」

T「そうですね40歳前まですね。
 何年ぐらいまでかは分からないけれど、数年間でしょうね」

Y「30代半ばから後半にかけて、この落款を使っていた時期がある、と。
 あまり作品自体は多くないですね?」

T「そんなに4つも5つもないないですかねぇ…」

Y「数点ですよね」

■≪葡萄図≫の写真

Y「この≪葡萄図≫がプライスさんが初めて購入された作品です。
 有名な話ですが、フランク・ロイド・ライトと一緒にニューヨークの街を歩いて

 いた、と。
 ライトがセオ商店という古美術店へ入っていった。
 プライスさんは何もわからず、ただついて行って。
 その時、ライトは浮世絵ばかり見ていたんですよね?
 ≪葡萄図≫は、壁にかけてあったのですか?」

E「ニューヨークにMr.ライトと行ったときは、(ライトが)グッゲンハイム美術館

 建てていて。
 古美術商のお店に一緒に入ってMr.ライトの後ろで非常に退屈していたんですが
 後ろの壁に、この絵が飾ってあって。
 すごく気になっていたんだけれど、Mr.ライトの御付きできているものですから
 自由にはできなくて。
 Mr.ライトをプラザホテルまでお送りして、また同じ店に戻った、と。
 
 Mr.ライトから教わっている自然の本質というものが良く出ていて、それで

 この作品が欲しいと思い購入した、と」

Y「その時点では、まったく若冲という名前はご存じなかった?」

E「全然。ホテルからお店へ戻る間に絵が売れてしまっているんじゃないかと非常に
 ドキドキした、と。よっぽど好きだったみたいです」

Y「それが1953年ですね。23~24歳の頃」

E「他にも数点見ていたようですが、Mr.ライトが「青年には、この作品は良すぎる」

 とか言って自分で買って持って帰ったものもあったようです」

Y「ライトって人は、かなり癖のあった人物だったようで。
 ニューヨークの街を歩いていても、赤信号も平気で渡っていって。
 私のために車は止まるべきだ、とか言って」

ほほー、ライト氏についても知りたくなってきました。
学生の頃、明治村まで行っておきながら帝国ホテル(の中央玄関)を
見てないんですよねぇ。
今思うと、勿体ないことをしたと思いつつ……

という訳で、またも次へ続くのでありました。

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