伊藤若冲 PR

若冲展 特別記念講演④

※ 記事内に商品プロモーションを含んでいます

前回書いた若冲展グッズ。

 

usakameartsandcinemas.hatenablog.com

 

1件書き忘れがありましたので
まずは、そちらをちょこっと。

東京都美術館の常設ミュージアムショップの右端にありました
若冲缶バッヂのガチャガチャ。

直径は3センチほど、10種類ほどあるようです。
3回挑戦し、3種類別の物が出てきました。
最近、同じものを引かなくなりましてねぇ。ふっふっふ。
といっても、ここ半年以内の話ですが。

さて、若冲展の特別記念講演で聞いた話をメモを頼りに書き起こしております第四弾。

 

usakameartsandcinemas.hatenablog.com

 

Yは司会の山下裕二さん
Tは辻惟雄さん
Jはジョー・プライスさん
Eはエツコ・プライスさんを表しております。
といっても、エツコさんがジョーさんの言葉を通訳して下さったので
Eの表記ばかりになっておりますが……

**********************************************************

Y「ジョーさんにライトが教えたことで一番大きなことは自然の大切さ。
 ライト自身の建築も自然の摂理にしたがって建てているんだ、と。
 プライス・タワーというのも、まるで大地から生えた一本の植物のように屹立して

 いる。
 Godというのは、常にGを大文字で書くけれども、 
 自分はNature(自然)のNも大文字で書くべきだと思う。
 自然=神である、ということをライトはずいぶんとジョーさんに言っている。
 その考えは日本の死生観、宗教観、日本固有のものに近い感覚があるんじゃない

 かと」

E「Mr.ライトが常にジョーに言っていたのは、ここに建物を建てて自然を破壊する

 ような建物を建ててはいけない。ここに建物があるから、自然がよりよくなるような

 建物にしなくてはならないと、常に彼(ジョーさん)に教えていたと」

Y「1953年、辻先生は20か21歳?」

T「若冲のじゃの字も知らなかった」

Y「その頃は東大の学生だった?」

T「はい」

Y「先生は、もともとは理科系ですよね?」

T「できればお医者さんになりたいと思っていたけれど…」

Y「東大の医学部に進みたいと思っていたのが無理で
 (どこまでも辻先生に挑む山下氏)
 なぜか美術史に進学された、と。絵がお好きだったんですね?描いてらした?」

E「上手ですよ、先生」

ほほー、一体どんな絵を描かれるのか。

Y「美術史学科に進学された時点の先生は、若冲という名前すらご存知なかった?」

T「たぶんそうだったと思いますねぇ。東急百貨店で、干支の酉年にちなんだ鳥の絵の
 展覧会があって、そこに大阪の西福寺(さいふくじ)の鶏がでていたんだけれども
 気になっていたものの見逃してしまったんです」

ちなみに、あとで分かったのですが1957年に開催された『鶏画名作展』に
≪仙人掌群鶏図≫が展示されていたそうです。
 
T「そしたら杉全直(すぎまたただし)という人、いわゆる前衛画家という人が
 その絵を見た感想を雑誌に書いていて。その感想を読んで、江戸時代にそんな絵が
 あるのか、と。だからプライスさんと違って、文字から入ったんだよね。ふふふ」

Y「先生は、最初は実物と出会った訳ではないんですね。
  (プライスさんと辻先生は、若冲との)出会い方は随分違うんですね。
 本格的に若冲を研究しようと先生が思ったのは、いつ頃ですか?」

T「だいぶ遅いですよ。『奇想の系譜』という本を書いた時でも、まだ≪動植綵絵≫を
 見ないで書いてるんだから、酷い話ですよ。ふふふ」

Y「それ、ちょっと衝撃の事実ですね!!
 1968年に美術手帖で連載を初めて、1970年に単行本にまとめられましたが
 その時点で実は先生はまだ実物をご覧になっていなかった」

T「『御物若冲動植綵絵精影(ぎょぶつじゃくちゅうどうしょくさいえせいえい)』に
 出ているのは見ていましたが」

山下氏、とても大きな本を客席に見せながら

Y「ここに1冊図録を持ってきましたが、これは、『御物若冲動植綵絵精影』という

 本です。
 大正十五年に発行されたもの。
 この中を開きますと、6点はカラーで図版が載っています。
 辻先生が若冲を知った頃は、この本がほぼ唯一の≪動植綵絵≫の手掛かりだった、と。

こちらのページで、その長いタイトルの本を少しだけ見ることができます。
こちらの記事の本文を読みますと、この本の現物をジョーさんと辻先生が一緒に
ご覧になったとか!お二人が揃って見られたのは1970年と。
この本の大きさは48×33cmとも書いてあります。

Y「そして不思議な縁ですが、ジョーさんもこの本を入手されているんですよね?」

E「大学を卒業した後にMr.ゴフからのギフトだって言ってましたけど、
 今(ジョーさんが)言うには借りたけど、返さなかったみたい……」

場内、何度目かの大爆笑。

E「Mr.ゴフも、それが若冲の絵であることは知らなかったみたい」

Y「これに英文がある訳でもないので、まだ若冲だとは認識していなかった、と」

E「はい。Mr.ゴフは、その本を古本屋さんで買ったようです」

Y「この本を手に入れても、まだ若冲の名前を知らない。
 でも、その後で確かカンザス大学の先生が若冲という画家の名前を教えて
 くれたんですよね」

E「台湾出身の大学教授がいらして。その後にジョーがニューヨークへ行って
 (≪葡萄図≫を購入した)同じ店で若冲の絵はないですか?と聞いたら、
 あなた既に持ってますよ、と」

今回の若冲展に、この≪葡萄図≫がでておりまして。
「そうかぁ、この作品がジョーさんと若冲の初めての出会いなのねぇ」と、

しみじみしつつ見ておりました。

この絵に出会ったことで、彼は大学卒業祝いにもらっていたメルセデスベンツ代を
絵につぎ込むことになり。そして、ゆくゆくはプライス・コレクションへ繋がって

いくなんて誰が予想できただろうか、みたいなナレーションを勝手に脳内に流しつつ。

Y「この『御物若冲動植綵絵精影』は秋山光夫さんという研究者が大正十五年に
 出版したものですが、上野の東京国立博物館を入って左側にある表慶館
 ≪動植綵絵≫で並べたことがあって(その時の図録であるらしいです)。
 それが≪動植綵絵≫を並べた唯一の機会ですよね、辻先生?」

T「その前は、ちょこちょこっと出したこともあるようですが。
 皇室のコレクションになってからは、お蔵に」

Y「明治22年(1889年)に相国寺から皇室に献上されて、相国寺は(当時)一万円の
 下賜金をもらって お寺の経営を立て直した、と。
 以後、明治天皇が随分≪動植綵絵≫をお好きだったようで、明治宮殿に≪動植綵絵≫を
 飾っている写真が一枚だけ残っていますね」

■雑誌の取材でプライス邸へ山下氏が訪れたときの写真
 ジョーさんと山下さんが≪葡萄図≫を見ています。

「これは私が取材で伺った時に、一緒に撮った写真です。
 確か2006年ぐらいにBRUTUS(ブルータス)という雑誌で若冲の特集を
 組んだんですが、その時にプライスさんの家へ伺いました」

■≪紫陽花双鶏図≫の写真

Y「これがプライス・コレクションの中でも私は最高のクオリティの若冲だと

 思いますが≪紫陽花双鶏図≫。
 これはお気づきの方が多いと思いますが≪動植綵絵≫の中に非常に良く似た絵が
 ありますね」

Y「プライスさんがお持ちの≪紫陽花双鶏図≫は、≪動植綵絵≫を描いている途中に
 派生したバリエーションみたいなものと思っていいですか?」

T「落款を見ると、≪動植綵絵≫を描き始める前だと思います」

Y「そうすると、≪動植綵絵≫を描き始める前に、こういったかなり本格的なものを
 描いて≪動植綵絵≫を描き進めるための資金を作りたいという気持ちもあったんで
 しょうか?」

T「10年間、あまり他の絵が描けない訳ですから絹の代金とか貯めておかないと」

Y「≪動植綵絵≫よりも大きい≪旭日鳳凰図≫という鳳凰を描いた大幅(たいふく)が
 展示されていますが、あれも≪動植綵絵≫直前ですよね、先生?」

T「あれは、凄い絵ですよね。あの一幅でもって≪動植綵絵≫すべての作品に
 引けを取らないという」

Y「すごい力の入り方ですね」

■≪紫陽花双鶏図≫の落款部分のアップ写真

Y「この落款が≪動植綵絵≫を描く直前ぐらいのもの。
 比較的、まだ自信なさげな感じなんですね。
 もっと初期の落款って、もっと下手な字ですよね。
 いくつか、この展覧会にも出ていますけど」

■≪紫陽花双鶏図≫鶏の部分のアップ写真

Y「ジョーさん、この絵は東京の荻原さんという方から購入されたと聞いています。
 これが日本に来て初めて買った作品ですか?」

E「最初は≪虎図≫」

Y「では≪紫陽花双鶏図≫が二つ目。
 この時はエツコさんと結婚したあと。直後ぐらいですか?」

E「はい」

Y「この絵(≪紫陽花双鶏図≫)は辻先生とも縁があって、ジョーさんが購入して
 持って帰られる前に、辻先生は持ち主から借り出したことがあるそうですね?」

T「東京文化財研究所にいると、色んな情報が入ってくるんですね。
 ジョー・プライスという青年が、日本に乗り込んできて、若冲若冲若冲

 ないか?と。
 これは大変だ、と。日本から良いものが出て行ってしまう、と。
 荻原さんのところから借りて大学の研究室へ持って行き、これが見納めかもしれない
 なんて言って」

Y「辻先生が東大の研究室に、この絵を持ち込んで。
 その時に見せられた後輩が、今回の若冲展監修された小林忠先生な訳ですね。
 見納めだ、なんて全然そんなことなかったですね。
 むしろプライス・コレクションに入ったことで、以後多くの研究者が見せて

 いただく機会を得た、と」

ちょっと、この話を聞いて勝手にヒヤっとしました。

一体全体、辻先生とジョーさんの初対面は、どんな感じだったのだろうか?と。
辻先生からすると、正直良い感情はなかったんじゃないか、なんて勝手に妄想。
いや、すみません、私の勝手な妄想です。辻先生は、何も仰ってないです。

ただ、個人のコレクターが入手したら、その後はお蔵入りになる可能性大な訳で。
ましてや外国へ渡ったら、もうねぇ。うむ。
まさか、こんなにもお里へ返してくれるとはねぇ。

と、またしても長くなりました。
本当は、≪紫陽花双鶏図≫の話が一段落するところまで進みたかったのですが。
あと2回ぐらいで終わるのではないかと思います。たぶん。

.