山種美術館で開催中の≪江戸絵画への視線―岩佐又兵衛から江戸琳派へ―展≫
ブロガー内覧会へ参加させていただきました。
まずは《青い日記帳》管理人のTak氏より
「若冲、琳派だけが江戸絵画ではなく今回の展示には文人画と呼ばれる
中国の影響を受けた作品があり、若冲や琳派に比べると地味ではあるけれど
ぐっと近寄って見ると色が入っていたりして、文人画もなかなか悪うございません。
文人画を見直すきっかけになれば、と思いますので是非是非、とにかく近くで
じっくり見てください」という内容のお話が。
次に山種美術館館長の山崎氏より
「近代・現代のコレクションが中心の当館には珍しい江戸絵画のコレクションの多くを
展示しています。
祖父の山崎種二は、米問屋で奉公していた時の主人が酒井抱一の赤い柿の実の
絵を持っていたそうで、独立したら何とか酒井抱一という人物の作品を手にしたいと
夢に見ていたそうで。
昭和の初めに絵を買うことができる身分になった時に購入したが、のちに真っ赤な
偽物ということが分かった、と。
それをきっかけに、同時代に生きている画家の絵を集めれば確実に本物だ、ということで
絵を集めて行った、と。
ただ江戸絵画への気持ちはずっとあったようで、私は1歳の頃から祖父と住んでいた
けれども、江戸絵画は殆ど家に飾っていなかった。たぶん、古いものなので、それだけ
大切にしていたんだと思います。
そういった逸話のある祖父にとっては大切なコレクションなので、皆さんにも楽しんで
いただければと思います」
そして、この後に発表されたのが山種美術館では初のナイトミュージアム企画。
2016年7月22日(金) 17:30~19:30(受付開始 17:05~)
受付は7月19日(火)までで、先着100名とのこと。
江戸絵画に詳しい学芸員さんによる説明が聞けるそうです。
詳しくは、コチラをご覧ください。
※ 写真撮影は決められ作品のみ可のようです。
と言う訳で、これから出てくる作品の写真はブロガー内覧会での写真であり
美術館の許可を得て撮影されたものとなります。
専門が日本絵画史の特別研究員・水戸さんの説明付で絵を見ていきます。
水戸さんは、こちらの本を執筆された水戸さんでした。
おお、この本は前々から欲しいと思っていた本!
まずは、一番最初に飾ってある伊藤若冲≪伏見人形図≫
山種美術館所蔵
伏見人形とは伏見稲荷の付近の土を使って作られる土人形で、
若冲は絵を描き始めた40代のころから伏見人形を作品にしており、
この絵は、晩年伏見に住んでいたときの作品。
可愛いらしい布袋さんがリズミカルに配置されており、ユーモラスな感じを見ただけで
あぁ、若冲らしいと感じさせる雰囲気を持っているのではないか。
水戸さんが個人的に、若冲のここが凄い!と思っている点は
江戸時代の絵師は絵筆で勝負する、絵筆でどう表現するかがポイント。
若冲はリアル、リアルと言われるが一般的に絵師は絵筆でリアルに見えるように
描いているのに対して、この若冲の作品はどうしているのか?
じっと近くで見ると気づかれたと思うけれど、表面がザラザラした質感が
ご覧いただけますでしょうか?
(ふむふむ、なるほど。ざらっとキラっとしてます)
雲母が使われているのかキラキラっとした、メタリックな、土っぽいような表現が
見えてくるんじゃないかと思います。
要するに土人形の土ぽっさを表現している、この発想は普通江戸絵画の絵師だったら
考えられない。
このように材質を、そのまま再現しようというのはどちらかというと工芸の感覚ですね。
若冲というと有名な桝目描きも絵筆で勝負ではなく、まったく違う発想で勝負する。
そこにこそ若冲が時代を超えて凄いと思える点ではないか。
絵筆からの発想を超えたところに作品の新しさを求めている。
(現在の我々から見ると)それほど新しさを感じられないかもしれないが、恐らく当時の
人たちからするとビックリされたのではないか。
お次は琳派の始まりの絵師として知られている俵屋宗達。
≪鹿下絵新古今集和歌巻断簡≫
俵屋宗達(絵)、本阿弥光悦(書) 山種美術館所蔵
俵屋宗達が下絵を描いて、本阿弥光悦が書を記したものとしては
「鶴下絵和歌巻」これは京都国立博物館に巻物であります。
それと「鹿下絵和歌巻」、それと「蓮下絵和歌巻」の三つがあります。
鹿下絵に関しては前半と後半に大きく分かれ、後半は巻物のままでシアトル美術館が
所蔵していて、前半は分断されて色んなところに所蔵されている。
私(水戸さん)が以前いたサントリー美術館、あるいは五島美術館、MOA美術館が
断簡をお持ちです。
山種美術館が所蔵する、この断簡は鹿下絵の巻頭を飾っていたと思われる。
17世紀に光悦がこれを作った時も、この作品が巻頭だったと推察される。
なぜなら光悦は非常に西行に関心があったようで、この作品にも有名な
西行の和歌が記されている。
「こころなき 身にも哀はしられけり 鴫(しぎ)たつ沢の秋の夕暮」
もともとこの巻物は新古今和歌集の秋の歌を何種も散らして書いているもの
なんですが、この歌は秋の始まりではない。
秋の歌を選ぶ中で、本阿弥光悦は恐らく西行のこの歌から巻を始めたいと
思って、これを書いたのではないか。
巻頭は他の歌と違って、特別な思い入れがあったと思われます。
この作品には鹿が一頭いるけれども、上の句 鹿 下の句というように
鹿を挟むように歌が書かれている。
鹿と対話をするように和歌が書かれている。
そして和歌には、どこも鹿がでてこない。
けれども最後の「秋の夕暮」という言葉まで辿り着いた時に私たちの心の中に生まれる
秋の夕暮の景色が、この鹿にもオーバーラップすることで、まるで夕暮れ時に
佇む鹿のように見えてくるわけです。
歌とは直接関係のない世界ではあるけれども、そこにあえて秋のモチーフでもある
鹿とからめることで私たちは歌の世界と鹿のいる秋の景色を二重写しに楽しむことが
できる、そうゆう構成になっています。
なるほどなぁ。和歌が分かっていれば(駄洒落ではありません)この作品をより深く
味わうことが出来るんですねぇ。しみじみ。
ちなみに京都国立博物館のホームページに「鶴下絵三十六歌仙和歌巻」についての
子供向け解説ページがありました。
和歌巻全体は、こちらのページで見られます。
≪四季草花下絵和歌短冊帖≫
俵屋宗達(絵)、本阿弥光悦(書) 山種美術館所蔵
巻物は横長に進んでいく、まるでアニメーションのように描かれていく訳ですが
こちらは短冊と言う極めて限られたフレームの中にモチーフを配置している。
逆に窮屈なフレームを生かし、ある時は遠くから、ある時はモチーフを大胆にデフォルメ
するなどしています。
実物は、もっとキラキラ輝いていて綺麗でした。
是非、会場でご確認いただければと思います。うう
と、少し長くなりましたので一旦ここで〆させていただきます。
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