《松島 瑞巌寺と伊達政宗展》。
ようやく展示室5まで進んでまいりました。
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展示室5【瑞巌寺本堂彫刻欄間と伊達政宗】
瑞巌寺本堂は桃山時代を代表する禅宗建築で国宝に指定されており、本堂の襖絵(展示室4)は重文、展示室5で見られる彫刻欄間は国宝という。
しみじみ実際の建物を見たくなりました。
《瑞巌寺本堂欄間額「松島方丈記」》
丸四年かけた瑞巌寺の造営。1609年に完成し、その翌年のお正月に政宗の師である虎哉宗乙(こさいそういつ)がその縁起を撰文・揮毫して扁額(門戸や室内に掲げる横に長い額)にしたそうです。
虎哉宗乙は美濃国(現在の岐阜)出身の人で、政宗の父・輝宗の懇請で米沢へ来て政宗の師となった、と。
生涯にわたり政宗の精神的・思想的拠り所となった
父上の先見の明というか、人材抜擢の素晴らしさといいますか。
《瑞巌寺本堂欄間額「松島方丈記」》
松島の景観から始まり北条時頼が開いた円福寺の盛衰、政宗による復興の経緯およびその意図するところを簡潔な文章で示す
と説明にあったのですが。
この文字も彫ってあるという。細い字なのに、ちゃんと彫ってありまして凄い技だなぁ、と。
本額は雲上に躍動する二頭の龍が浮彫によって表現され虎哉宗乙が記した縁起を囲み、金、緑青、白色胡粉といった鮮烈な色彩が全体に施されている。
そうなんです、額の上下に龍がのびのびと彫られておりました。
鱗や髭まで丁寧に彫られておりまして。枠にはハート形のような模様も。
明治神宮にもハート模様のような装飾がありましたけれど、何か意味合いがあるのかしら。
おっと。明治神宮は木彫り部分ではなく金具部分でした。
《瑞巌寺本堂彫刻欄間 花鳥図》
欄間額の次に展示されていたのは《瑞巌寺本堂彫刻欄間 花鳥図》。
建築材料は紀州(現在の和歌山県)熊野の山から伐りだし、筏を組んで海を運んできたそうです。
大工は京都から梅村彦左衛門家次一門を、彫刻は左甚五郎のモデルの一人と言われる紀州の刑部(おさかべ)左衛門国次たちを含め総勢130名ほど呼び寄せたとか。
人件費、材料費、そして丸四年かかったという大工事。
一体、総額はいかほど?!と余計なことを考えてしまいました。
ただ、そこまでして工事を進めた政宗の固い意志を勝手に感じ取りました。
ここでもう一度、私が作った本堂レイアウト図を。
縮尺は正確ではありませんので~。
左下にあります【文王の間】の欄間は3面あり、向かって左から”諫鼓(かんこ)の鶏図”、”鶴の巣籠り図”、”吐綬鶏図(とじゅけいず)”と並んでいるそうです。
【文王の間】は伊達一門の詰所ということで政治の儒教的理念を目的とした一族結合の親和を彫刻で表した、とのこと。
諫鼓・・・古代中国で、天子をいさめようとする者に打ちならさせるため 朝廷門外に設けたという鼓
吐綬鶏・・・①シチメンチョウの異名
②中国東南部にすむジュケイの別名。のどにある大きい肉垂が綬(飾りひも)を吐いているように見えることからこの名がついた
そ、そうですか。”吐く”より、もうちょっとイメージのいい言葉があったら…もごもご。
”鶴の巣籠り図”の鶴は、親鳥が何か咥えているところや、羽の細かい表現、左下の花の中に蕾があったり、これまた細かいところまで手を加えてありました。
【鷹の間】の欄間は向かって左から”孔雀に牡丹”、”紅葉に鹿”、”金鶏図”の3面で構成されているそうで。
【松の間】は茶道衆の控えの間だったそうで山鵲(さんじゃく)の意匠が施されているけれども【文王の間】の欄間と比べて雲の占める割合が多く彫刻がやや大味である、と。いえ、私が思ったんじゃなくて、ちゃんと説明にそう書いてあったんです。はい。
欄間に繰り返し使われる孔雀、鶴、吐綬鶏、菊、牡丹は瑞祥的な意味を持ち吉祥性を表すとのことでした。
【文王の間】、【鷹の間】、【松の間】ともに欄間の彫刻は透彫りで胡粉下地彩色で顔料の彩色は緑、紺、藍、朱、赤、臙脂、白、黒、金泥など各色使っているそうです。贅沢ですねぇ。さすが国宝。
残念ながら、ほとんどその色を見ることはできませんでしたが私の印象では緑色が一番残っていたように思えました。
完成から10年ぐらいは本堂の彫刻は色彩されていなかった、という文章が興味深かったです。
《
伊達政宗和歌詠草 松嶋乃・・・》
今回の展示では、何点か伊達政宗の直筆が見られますが私が一番うっとりしたのは【伊達政宗和歌詠草 松嶋乃・・・】。
こちらのページで見られます、上から8番目に紹介されております。
www.town.miyagi-matsushima.lg.jp
慶長14年(1609)3月26日。
5年がかりの大工事で竣工した瑞宝寺方丈(本殿)の祝儀があり、そこで伊達政宗は紅白の梅と朝鮮五葉松を手植えしたとか。
その紅白の梅は1593年に朝鮮出兵の際に、彼の地から持ち帰った梅だったそうで。現在は”臥龍梅(がりゅうばい)”と呼ばれている、と。
で、松の長寿に託して寺の末永き繁栄の願いをこめて詠んだのが
松嶋乃枩農齢尓此寺(まつしまのまつのよわいにこのてら)の
須恵佐可(すえさか)へなむ年ハ婦(はふ)るもと
当代隋一の能筆と称賛された書および和歌の技倆とが遺憾なく発揮された作品
和歌も書道も知識のない私ですが、それでもその美しさは、うっとりするような美しさはハッキリとあらわれておりました。
何回も練習して書きなおされたんだろうか、こんなに綺麗な文字かけたら、さぞかし嬉しいだろうなぁ、などと思いつつ見つめておりました。
さて、残るは展示室6と7。それから購入した絵はがきやクリアファイルについても書きたいし。
他の展覧会についても書きたいことがあるのに、なかなか伊達政宗展から離れがたいのでありました。
《松島 瑞巌寺と伊達政宗展》 展示室4の五大明王像と不動明王三尊像《 》《松島 瑞巌寺と伊達政宗展》 展示室6、そして7の途中まで