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松島 瑞巌寺と伊達政宗展 後期展示の追記①

※ 記事内に商品プロモーションを含んでいます
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《松島 瑞巌寺と伊達政宗展 》へ2度行きまして、展示替えがあったものについて書こうと思います。

2度目で気づいたというか、1度見たときには他の展示に心を奪われ見たのに忘れていたというか、はい、言い訳なんですが。

展示室1

展示室1の壁に「瑞巌寺と伊達家の伝統」というタイトルと説明文が書かれた垂れ幕がかかっておりまして。

その垂れ幕の模様が、紫羅背板地五色水玉模様陣羽織だったんです。おしゃれだな~と。

仏舎利

あと、2回目見たときも仏舎利は2粒に見えてしまいました。

買ったばかりの単眼鏡を使い、じっくり見たのですが。1粒しかないはずなのに、あれれ。

 

《能面 姥》

瑞巌寺は能面34面と狂言面3面が伝わっているそうで、それらは瑞巌寺の前身・円福寺の鎮守であった日吉山王神社で用いられたという見解もありつつ、伝来についての詳細は不明、と。

この”姥”は年老いた女性の面で、全体がくりぬかれた細長い目、額、眼尻、頬に刻まれた皺、力なく開いた口などが姥の面の特徴とのこと。

もう、そこまでやらなくても、というぐらいクッキリ皺が刻み込まれておりました。

《能面 泥眼(でいがん)》

泥眼の名前の由来は白目の部分に金泥が塗られていることからきているそうです。

金色の白目と歯、乱れたほつれ毛はこの面に霊性が有することを示しており嫉妬に狂った女性の面である

 

くっ。金色に塗られているから、何かやんごとなき(??)面なのかと思ったら。

嫉妬に狂った、って。嫉妬に狂って白目が金色って。

面裏には「ていかん」の貼り紙と「天下一大和」の焼印、そして左頬には「ていかん」の朱書銘。

「天下一大和」は江戸時代に活躍し特に小面(こおもて)の優れた作品を残した大宮真盛(まさもり)が用いたそうで。

《塵芥集(佐藤本)》

制定時の原本は現存しないそうで、こちらは江戸時代に写本されたものとか。

佐藤彦兵衛という人物が藩主に進上したので”佐藤本”と呼ばれているそうで。

《伊達治家記録》

じっくりみましたら、

「伊達氏第十七世権中納言従三位〇行陸奥守政宗君ナリ」とか(〇は、私に読めなかった漢字です…)

「御童名ハ梵天丸」という文字が読めました。

非常に読みやすい文字なので、私にも読めました。わー、本当に梵天丸なんだ!という訳の分からないことで感動したり。

《伊達政宗書状(瑞巌寺宛)》

瑞巌寺から酒肴を贈られた返礼として、仙台の諸白(もろはく・上等酒)を1樽贈るという内容の手紙だそうです。

私、てっきり諸白というブランドの名前なのかと大きく勘違いしまして。

先ほど、「日本酒 諸白」で検索したらお酒の製法の名前ってことを知りまして。 恥ずかしいかぎり。

ちなみに、政宗はお酒が大好きだったようで開運!なんでも鑑定団にそのことをうかがわせる手紙が出たようです。

そうそう、花押が可愛くて。○の中に髭があるみたいで。

政宗の花押についてザッと調べてみたら二種類あるそうで。

対外的な文書に用いられた花押と、展示されていた手紙の花押のように家族や家臣たち宛に使われるものだそうです。

あと表装部分に龍のような模様が見えたような。

《松島図屏風》 

もとは塩竈図が描かれた一双屏風であった可能性があるそうですが、現在はこの松島図のみ。

槍や鉄砲を持った武者が先導する大名行列のような一行が描かれていたり瑞巌寺や五大堂、そして小舟に3~4人乗って遊覧してるところや、赤い毛氈のようなものの上で小規模な宴会をしている姿なども。

瑞巌寺の伽藍と参詣の人物に視点が絞られた名所風俗図としての要素が強い、とのこと。

確かに前期展示の《松島塩竈図屏風》の松島図が神秘的な感じだったのに比べると、この《松島図屏風》は名所案内っぽい楽しい感じの屏風でした。

《瑞巌寺本堂障壁画 文王呂尚図》

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これは私が作った間取り図なのですが縮尺は完全に無視しておりまして、位置関係をざっくり把握できたらいいな、というゆるい感じで作ってあります。

で、この《 文王呂尚図》が飾られているのは左下の”文王の間”。

”文王の間”の奥に位置する”上段の間”は、藩主お成りの間。

”上々段の間”は藩主よりも位の高い人のためのものだそうで。

”文王の間”は伊達家親戚衆の詰めの間、藩主との対面の場という役割があるそうです。

で、この文王というのはどなた様で??と思いましたら、ちゃんと説明が。

画題の文王は周を建国した武王の父で、呂尚という人は文王と武王親子を補佐し、斉の地を賜った周王朝最大の功臣とのこと。俗に太公望の通称で知られる、と。

太公望という単語は知っていたけれど、そうかこの方だったのか。

この襖絵には文王と呂尚の出会い、狩猟に出た文王に付き従う家臣の人たち、周の首都・洛陽城の繁栄などが描かれていました。

《五大明王像》 

アートシーンで、膝小僧や踝について触れていたのでしっかりと見て

まいりました。

見ているようでも、見ていないものだなぁ、と。

《瑞巌寺障壁画 竹に鶴図》 

本堂廊下の東・南・北端の三か所と裏廊下の2か所に大きな杉の板戸が建て込まれているそうです。

で、その板戸の両面に絵が描かれており《竹に鶴図》は北端廊下の板戸の表側の絵だそうです。裏面はバショウ図。

これを描いたのは”孔雀の間”と同じく狩野左京。

竹に鶴で吉祥の図柄だそうです。

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展示された襖絵の場所を表した図が展示室にありましたので書き写してまいりました。たぶん、こうだった、はず。

前期展示に《羅漢図》があり、それは”羅漢の間”のものなのですが、でも部屋のどの場所に位置する屏風なのかを書き写し忘れたようです。残念。

《瑞巌寺障壁画 虎図》

虎図は本堂の東端の廊下に建て込まれた板戸4面中の1面で表側に位置するそうです。裏面は藤図。こちらも狩野左京の作。

画題は杉の大板2面にメインテーマの虎豹(こひょう)を1面ずつ描き、右に続く小板戸2面にサブテーマである竹が描かれているそうです。

当時、豹はメスの虎と考えられていたとか!なので、虎と豹が一対で描かれているそうです。

そうですよねぇ、きっと当時は実物を見た人も少なかっただろうし。

眉毛や尻尾に並ぶ規則的な黒い丸の模様が可愛らしい作品でした。

と、またも長くなってきましたので一旦〆たいと思います。

《松島 瑞巌寺と伊達政宗展》 展示室7 その②《   》松島 瑞巌寺と伊達政宗展 後期展示の追記②