2013年12月に放送された版画家・川瀬巴水さんについての番組。
ようやく見ました、というのも展覧会で川瀬さんの作品を見たので。
うーん、番組見てから行けばよかったなぁ……。
残念ながら、冒頭10分ほどが録画できておらず途中からなのですがメモしておこうと思います。
作品のみならず、作品の一部分の再現が見られたのが良かったのは勿論、ゲストの大林宣彦さんのお話にも魅せられた内容でした。
関東大震災
(関東大震災の話があったようで、震災直後に巴水が描いたスケッチが紹介されていました)
震災から間もないころ、被災した家の周辺を描いたスケッチが残されています。
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荒々しい筆致、変わり果てた故郷の姿を巴水はどんな思いで見つめていたのでしょうか。
そうしたなか、巴水が避難生活を送ったのが幼いころから親しんだ増上寺でした。
被災してから初めて東京を描いたのが、この風景だったのです。
東京二十景
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地震に耐えた堂々たる朱塗りの門。
吹雪の中を和傘を差して着物姿の女性が歩いていきます。
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『芝 増上寺 (東京二十景)』
しんしんと降り積もる雪の静かな音が聞こえてきます。
絶望のなか新たなスタートを切った一枚。ここから東京を描くシリーズが始まりました。
月明かりに照らされた大きな松。
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『馬込の月 (東京二十景)』
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震災後、巴水が移り住んだ大田区馬込の田園地帯。
空気を染める淡い青は巴水ブルーと呼ばれました。
大型船が停泊する隅田川。
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こうして描かれたシリーズは『東京二十景』と名付けられました。
(巴水の言葉)
見慣れすぎたせいか、いつでも描けるという油断か、どうも私は東京を見る感じが鈍いようであります。がしかし、一度ここぞと思いますと、生まれたときから住んでいる所だけに何か自分のものという様な不思議な力が出て、思うままに写生ができるのです。
東京・太田区立郷土博物館の清水久男さん。
地元の歴史を知る貴重な資料として長年巴水の作品を研究してきました。
清水さん「東京二十景のなかの『矢口』の絵です」
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「矢口なんですけれども、真ん中に川が流れている。
この川の中に船が描かれていますけれども、この多摩川の砂利を運ぶための運搬船。
こちらの馬と牛がひいている二輪車は砂利を運ぶための荷車です。
このような風景は明治時代頃から見られたようなんですけれども」
「東京二十景」の一枚、『矢口』。
この地域で明治時代から盛んにおこなわれていた砂利を採取する作業です。
清水さんは東京二十景には関東大震災前と変わらない風景が多いことに気づきました。
隅田川にかかるこの橋も明治時代に作られたもの。
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『新大橋 (東京二十景)』
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そうした風景の選び方に巴水の想いが現れているといいます。
「この新大橋の真ん中のところに人力車を描いているんですね」
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「当時、市電が走っていたんですけども市電の方ではなく人力車を描いたところに巴水さんが心のなかに描いていた情緒的な部分を表現して描いたのが、この人力車に象徴されているんじゃないかという気がしますけれども。
ですから巴水さんにとっては東京二十景というのは自分の心象として昔ある風景、自分の思い描いていた風景が一番表現されているのではないかな、そんな作品集ではないかなと思いますけれども」
東京二十景。
巴水が永遠に残したいと願った東京の姿です。
井浦さん(以下、A)
「この作品(『新大橋』)とても印象に残っていて。
一番最初に出会ったときは近代の新版画の、なんてモダンな一枚だろうってそうゆう表面しかキャッチすることができなかったんですね。
でも震災後にこれを描いたと知った時に見えてくるものがまったく変わってきて。
番傘を差した人の姿や、時間が流れて生活がある、っていう。
そしてこの闇夜に降る雨って考えると、なんていろんな物語がこの一枚のなかに想いがあるんだろう、と」
ゲストの大林宣彦さん(以下、O)
「嬉しいなぁ。僕もこの作品大好きで。夜や雨がね。暗いところが好きでしょ。そこにポっと明かりがともっている。なんでもない当たり前のことだけど、震災後は真っ暗だったかもしれない。そこにポッとひとつ明かりが灯ることでホッとするっていうね」
伊東アナウンサー(以下、I)
「東京二十景のなかで大林さんがお好きな作品が、この『荒川の月(赤羽)』」
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O「なかにポンと明かりがついてね。ここに子供をおぶってる人がひとり。
ここに生活があって。みんな生きていこうねっていうね。
巴水自身が本当に大切なものを失ったあとであるだけに失ったことを悲しむよりも残ったもの、それは思い出も含めて自分の心に残ったそうゆう優しさを勇気として生きていこう、それが日本人のね再生復興の在り方じゃないかと」
A「この一枚は本当にその悲しみとか、そうゆうものを感じないですよね。
月夜に澄んだ空気、凛とした空気凄い感じますし。
子をおぶった女性がそこにいるという力強さ、どちらかといったらそれでも生きていくんだ、という力強さを感じますよね」
O「そうそうそう。なんか宝物って感じね。日本人がこうゆうものを失っていきつつあるかもしれない時だけに今、巴水さんの作品を見ることは本当に勇気をもらいますよね」
川瀬巴水の生涯について
新橋にほど近い通りに、かつて巴水の生家がありました。
この地で巴水や糸屋の長男として生まれます。
本格的に画家を志したのは25歳のころ。
日本画の巨匠・鏑木清方に弟子入りしますが、なかなか芽が出ませんでした。
転機が訪れたのは33歳、ある人物との出会いでした。
版画店を営んでいた渡辺庄三郎です。
庄三郎は版画の新しい時代を切り開こうとする新版画運動の中心的な存在でした。
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当時、江戸時代に栄えた浮世絵が急速に衰退していました。
西洋化の波の中、時代遅れとされ、絵師や彫師、摺師の多くが職を失っていたのです。
庄三郎は版画を新時代にふさわしいものに進化させようとしました。
そのなかで絵師として巴水に白羽の矢を立てたのです。
35歳、版画のための初めてのスケッチ旅行。
栃木県・那須塩原。
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おばが住んでいて、たびたび訪れていました。
子どもの頃、病気の療養に来た巴水はおばに背負われ、この道を通って温泉に通いました。
塩原の風景が彫師や摺師との共同作業で制作した初めての版画となりました。
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『塩原おかね路』
道にはバレンの荒い摺り跡が、わざと残されています。
土の感触が伝わって来るようです。
巴水は庄三郎や職人たちと斬新な表現に挑戦しました。
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『秋の越路』
収穫した稲穂の束。
これほど細密でリアルな表現は、それまでの浮世絵にはなかったものです。
夏の夜。
川岸に見つけた光景です。
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『夜の新川』
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蔵と蔵の間からもれてくるのはガス灯の明かり。
ガスの炎ならではの強い光が繊細な彫りと摺りで表現されています。
なかでも巴水の新版画を象徴するのが雪です。
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かつて東京・銀座にあった三十間掘。
暗く、どんよりとした空を激しい吹雪が舞っています。
歌川広重の傑作『東海道五十三次』の一場面です。
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雪は白い点であらわされています。
浮世絵では、こうした平面的な表現が一般的でした。
巴水の雪は、それとはまったく違います。
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「私と職人との心が一致するとき良いものができる」と語った巴水。
はるか遠くの奥行まで感じさせる吹雪は、どのようにして摺られたのでしょうか。
川瀬巴水の雪を再現する
渡辺庄三郎の孫で版画店を受け継いでいる渡辺章一郎さん。
今回、彫師と摺師の方の協力を得て巴水の雪の再現に挑みました。
渡辺さん
「言い伝えなんですけれど、この版木を彫る時に雪の表現を出すのに版木を”たわし”とかブラシのようなもので思いっきり傷をつけてこの雪の表現を出したという言い伝えがあるんですよ。
90年ぐらい前の話で、私の祖父から私の父、私の父から私に話がくる間に話がずれたり、誇張されたり、いろいろあるかもしれないんですけど」
職人さん
「こすって、こんなに綺麗に出るかなぁ…分からないけれど。
桜だと、こんなにこするものにもよると思うけれど、普通の”たわし”じゃとてもこんな格好にはならないですよね」
渡辺さん
「何しろ関東大震災で版木が焼けちゃってるんで、確かめようがないんですね」
まずは版木を彫る作業です。
彫師・関岡さん
「はじめ雪って聞いてたんで、もっとつぶつぶの雪とかって思ってたんですけどこんな吹雪いてる感じで。
全体的にざらついていて、ぼやっとした雪の表現は初めて見たんで挑戦し甲斐があるかな、って思うんですけれど」
彫刻刀で雨の筋を彫っていきます。
何種類もの”たわし”を試したうえで、固い金属の”たわし”を選びました。
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「板の表面も傷つけてしまっているんですよね。ただ、それでもしかしたらうまく、よりよく出るかもしれないんですけれど。摺ってみないと分かりません」
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雪の部分の版木が出来上がりました。
全体に細かい傷をつけ、彫刻刀で彫った筋も輪郭を柔らかくしました。
続いて摺りの作業です。
摺師の川嶋さんが注目したのは微妙な色の濃淡です。
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よく見ると色の濃いところと薄いところがあります。
摺りでだしたものです。
「技術的には結構難しいと思いますよ。ぼかしなんかも、かなり深かったりしますから」
江戸時代の浮世絵では摺りの作業に絵師は立ち会わないのが普通でしたが巴水は直接指示を出していたといいます。
力の加減を変えながら、注意深くバレンを動かします。
浮かせるようにバレンをあてます。
摺りを重ねると思った以上にバレンを繊細に扱っていることが分かってきました。
悪戦苦闘すること四時間。
作品に近い雰囲気に刷り上げることができました。
渡辺さんに刷り上がった作品をみせる摺師さん「ここがどうしてもね、手の動きでそうでるものでね、同じように摺れないんですよね。
これ摺った人も、この通りには2枚と摺ってないはずなんですよね」
渡辺さん「見事に雰囲気が出てますよね。絵の雰囲気が彫師さんの腕で再現されてほぼ同じになってると思いますね」
巴水の雪、それは職人たちの大胆な発想と繊細な技を引き出すことで生まれたものでした。
渡辺さん「巴水もいろいろやりたかったと思うんですよ。それまでは日本画を描いていて、突然その版画家に転向しようって
結構いけるぞと手ごたえを感じてた時だから彫りとか摺りにもある程度興味を持って見てたと思うんですよね。自分は彫らないにしても、摺らないにしても。
祖父・庄三郎も色んな技術の応用を実験してた時で、これもそんなわけで金だわしを補助に使ってやったのがこれだよ、というのが今日伝わっていて。
何もないところから、それを考えだすっていうのは本当に大変なことでこの時代には川瀬巴水にも渡辺庄三郎にも何らかの勢いがあったんじゃないですかね。
気持ちものってたし、やるぞという気力も充実していたので、こうゆう変わった技法を試しにやってみた、と」
長くなりましたので、一旦ここで〆させていただきます。
この続きは、日曜美術館 版画家・川瀬巴水②です。