国立西洋美術館で開催中のアルチンボルド展。
7章で構成されている展示。その1章ずつ感想を書くという謎の企画。
今回は5章と6章について。
Ⅴ.寄せ絵
5章の途中には少し奥まった、こじんまりとした展示空間がありまして。
そこには2つのガラスケース。
1つにはお皿、もう1つにはメダルが。
なぜ、それで顔を作ろうとしたのか、というものが展示されていました。なるほど、だから少し特別な感じの展示空間だったのですね。
それにしても、よく現在まで残ったなぁというのが私の率直な感想で。
当時の思想とか文化みたいな一端を伝える資料という意味合いも含め美術館に収蔵される前は、個人的に受け継がれてきたというか、コレクターたちによって受け継がれてきた訳で。
どんな思いで見てたのかしら、飾ってたのか、それとも。
メダルはね、一見分かりにくいけれどねぇ。お皿はねぇ……。
などと思ってみたり。
アルチンボルドの作品には、それを用いた真筆作品は確認されていないそうですが”モティーフを組み合わせてイメージを作るという手法”と関連している、と。
私が感心したのは、擬人化された風景の版画でして。
一見すると風景画なんだけれど、大きく人物が浮かび上がるという。
でも1回、人間だな、と認識すると風景画として見るのが難しく感じたり。
1つの絵が2通りに見えるという、ルビンの壺みたいだな、と。
はじめに横顔に見えちゃうと横顔しか見えなかったり。
壺しか見えなかったら、え?横顔?どこが?みたいな。
Wikipediaによりますと
1つのまとまりのある形として認識される部分を「図」、図の周囲にある背景を「地」と呼び、図と地の分化によって初めて形を知覚する、というものである
まぁ、そもそもこれは”だまし絵”ではなく1915年ごろにデンマークの心理学者エドガー・ルビン氏が考案された図形だそうで。
どちらを主にして見るかで、2人の横顔もしくは壺に見える、と。
しかも、横顔と壺が一緒に見えることはない、という。
ですから、今回の擬人化された風景とは、そもそもが違うのか!!
ここまで書く間に気が付きなさいよ、って感じですね。すみません。
あとは、人間で人間の顔を表現した作品もありましたが。
なぜか、私には植物や動物で顔を表現するよりも不気味に感じました。
図録には「本出品作品は像主の徳を暗示した寓意肖像画と考えられる」と。
……失礼いたしました。
Ⅵ.職業絵とカリカチュアの誕生
この章でもレオナルド・ダ・ヴィンチや、ダ・ヴィンチにもとづく素描が見られて嬉しかったです。
グロテスクではあるけれど…。
『グロテスクなふたつの動物の頭部』
左側の動物は、上下逆さにしてみても動物に見えるということで図録をひっくり返して見てみましたが……?????。
なんか、カエルっぽいのがいるようにしか見えない。
目を細めてみたり、遠くから見てみたけれど、分からない。うう。
どなたかお分かりでしたら、教えてくださいませ。
えーっと話が脱線しましたが、こういった絵もアルチンボルドの上下絵に影響を与えたのではないか、と図録にありました。
垂れた左右の毛が、マントみたくなって。
何かをかぶった人みたいな?????
うーん、やっぱり分からない。
あとは『人間観相学について』という本の展示が興味深かったです。
人間と動物の特徴を比較して、狐の目は小さい→狐は狡猾→よって人間で目の小さい人も同様、みたいな。
これ日本語訳があったら読んでみたいなぁ、と。
そうか、寄せ絵という手法を知っていた上で、こうゆう書物を読んでいたら人間の顔を動物(の特徴を加味した上)で描いた寄せ絵を作ろう!という発想に自然につながっていくのかもしれませんね。
いや、実際にアルチンボルドさんがどうゆう過程を経て寄せ絵を描こうと思ったのかは不明なんですが。はい。
様々なモチーフを寄せ集め、その結果別のイメージを立ち上げるという
「寄せ絵」に近い手法はアルチンボルドと同じ時代のインドやイスラムの
美術、そればかりか江戸時代の日本美術にも見られる。
そ、そんなことが起こり得るんでしょうか。っていうか、起こった訳ですが。
今のようにインターネットがある訳ではなく、もし1つの国で発生した流れが日本まで辿り着くのは相当時間がかかりそうな気がするのですが。
歌川国芳が、アルチンボルドの絵を絶対見ていないという証拠はでていないだけで。もしかしたら見たのか、それとも偶然世界各地で寄せ絵が発生??????????
『法律家』ジュセッペ・アルチンボルド
そうそう。そもそも、カリカアチュアって何じゃろか?と思ったら
(政治漫画などの)戯画 by新明解国語辞典
ほうほう。
まさに、この絵のことですね。
驚くべきは、皇帝の命でアルチンボルドが実在の人物を描いたという。
本人の特徴をよくとらえ、離してみると驚くほど似ていたため
皇帝をはじめ宮廷の人々に気に入られたという証言が残っている。
モデルになった人は、病気に加え、怪我で顔に特徴的な傷があったとのこと。
それを描かせ笑いものにするなんて、なんだか皇帝の心は病んでいる気が……。
と、世が世なら命がないような発言をする私。
皇帝一家の財務顧問を務めていた人物らしいから、私だったら密かに皇帝一家の財政を圧迫するようなことを画策、もしくは、持ち逃げしたくなるわぁ。
『司書』ジュゼッペ・アルチンボルド
こちらも皇帝の側近を描いたものだそうで。
宮廷に仕えた学者・ラツィウスがモデルだと言われています。
頭上に広げられた本や鍵によって表された目など、どこか滑稽でモデルをからかっています。
事実、 ラツィウスの著作は質より量によって有名でした。
説明を読んで思わず笑ってしまいました。 質より量。まさか、こうゆう形で後世に自分の名が伝えられるとは……。
自分の生きた証が残るという意味ではいいんだろうけれど、いやぁ、自分だったらちょっとなぁ、どうかなぁ。
『法律家』にしても『司書』にしても、モデルを馬鹿にした作品ではあるけれど。
あるけれど、でも、私だったら嫌いな人の肖像画をお気に入りの画家に描かせたりは絶対にしないなぁ。
見たくないもん、絶対。のちのち思い出したくもない。
ということは。
もしかして、皇帝は彼らのこと好きだったのかしら。
だからこそ、好きだからこそ、わざわざ貶めるような絵にしちゃったのかなぁ、という妄想もはじまり。
できれば、その方がいいなぁ、と勝手に思う今日この頃。
次回は、ようやく最終回!!!