国立西洋美術館で開催中のアルチンボルド展。
長々と感想(という名の妄想)を書いてまいりましたが、ついに最終回。ここまで長々と書きたくなるほど、面白い内容でした。
奇妙な、奇抜な、不思議な、面白い、まぁ、人によって様々な受け取り方があるとは思いますが、夏休み期間も開催中ですし(9月24日まで開催)お子様の自由研究とかにも面白いんじゃないかと勝手に思ったり。
まぁ、勉強という形じゃないにしろ、これは見ておいたらかなり印象深いんじゃないかと勝手に思いまして。
今からすぐに絵に興味を持たないにしろ、記憶の何処かにあったら、何か面白いことにつながるかもしれない。つながらないかもしれない。
十分(年齢だけは)大人になってしまった私なんて、いくつ展覧会見ても何かにつながる気配ないけど。あはははは…………。
あ、でも絵だけじゃなくて博物館的な感じもあって、十分(年齢だけは)大人になってしまった私ですら衝撃的?刺激的?な内容でしたので、ご興味ありましたら是非是非と勝手にお勧めするのでした。
Ⅶ.上下絵から静物画へ
樹木や花々小動物や魚などの有機的なモティーフの合成、あるいは書物や様々な道具類といった無機的な事物の組み合わせから生み出されたアルチンボルドの寄せ絵は肖像画という伝統的なジャンルと静物画というそれまで存在しなかった新しいジャンルを媒介とする役を担っている。
アルチンボルドの寄せ絵は肖像画だが個々のモティーフの精緻な描写によって静物画でもあるという両義性を持っている。
そうそう、物心ついたときから(?)静物画を知っている私にとってはそれまで静物画というジャンルが存在していなかったんだ!ということが驚きでして。
携帯電話を持ってない時代があったんだ!!って驚く世代と同じ感覚かも。
いや、それは違うか。
アルチンボルドの帰郷後、90年代以降のロンバルディア地方では新たに静物画というジャンルが豊かに花開き、17世紀にようやくひとつのジャンルとして西洋美術史上に台頭することになるため、彼は静物画の先駆者でもある。
影響力ある人だったんですねぇ。1つの絵画ジャンルを生み出す素地を作った訳ですものねぇ。
『庭師/野菜』ジュゼッペ・アルチンボルド
庭師の肖像画が逆さまにすると野菜の静物画に。
アルチンボルドがミラノに戻った1587年以降の作という説が有力。同時期をミラノで過ごし、のちに静物画を描いたカラヴァッジョ、アンブロージョ・フィジーノらにも影響を与えたと考えられる。
展示では、庭師として展示されていまして。その横に野菜として見える方向でパネルがかけてありました。
全体的に、すごく色が綺麗だったなぁ。
野菜として見ると、上から覗きこんで描かれている感じがしました。もしかして、そうやって野菜を並べて上から見て描いていたのか。
いやいや、アルチンボルドクラスなら実物見なくても脳内でイメージを作り出せる??いやいやいや、それでもラフスケッチぐらいはしただろうなぁ最初に。配置ぐらいはねぇ。どうだろう。
『コック/肉』ジュゼッペ・アルチンボルド
展示の向きは肉で、隣にはコックのパネルが。
これは誰かのコピーでは??と素人は思ってしまったのですが。
図録には近年の調査でアルチンボルドへの帰属を疑う理由はないと思われる、と。
そ、そうでしたか。
うーん、そう仰るなら。
最後にメニル・コレクションの『冬』ジュゼッペ・アルチンボルドに帰属を見てもう1度最初から展示を見直して、会場をあとにしました。
ただ、一番最初の連作じゃない『四季』を見るのをすっかり忘れてまして。んー、もう1回じっくり見たかったなぁ。
会場を出て、携帯を取り出しツイッターを開きますと。
まったく関係ない事象なのに、すべてがアルチンボルド現象。
すべてがアルチンボルドの作品のように見えてしまうという。
例えば……
花火で人の顔を作ったかのように見えてしまったり
頭全体が花に彩られてる写真を見た日には、ねぇ、もうアルチンボルドの作品かと思ってしまって。そんなわけで、しばらくはすべての事象がアルチンボルド化するという感じでした。
それだけインパクトがあるし、むしろ自分が勝手に決めつけているだけで、今自分が見ているものを構成しているのは別のものかもしれない、という感じになってしまい。
しばらく、じーっと見つめてしまったり。
と、1章から長くなりましたがこれにてアルチンボルド展の感想は終了です。
今日放送の日曜美術館でもアルチンボルド展が取り上げられていて、面白かったのでそちらも感想を書きたいな、と思う今日この頃。