Bunkamuraザ・ミュージアムで開催中の《くまのパディントン展》の展示を見ていて感動したことがあったので、書こうと思います。
これから展示を見られる方にはネタバレ?になってしまうので、ご注意くださいませ。
映画やドラマでネタバレって聞きますが、展覧会ではあまりないですかね??
で、くまのパディントン展の展示。
パディントンがどんな子で、どんな騒動が起こるのかをざっくり知れたところで、パディントンが生まれた背景を知ることができます。
パディントンって、実在のモデルがいたんですね!
いや、これは誤解を招く書き方でした。
クリスマスイブに、雨宿りのためにたまたま入ったお店で売れ残っていたクマのぬいぐるみを見つけたマイケル・ボンドさん。
すでにクリスマスプレゼントを奥様に買ってあったけれど、そのぬいぐるみがひとりでクリスマスを過ごすのかと思うとやりきれなくなって家に連れて
帰ったそうです。
そのぬいぐるみはパディントンと名付けられ、大層家族の方々にも可愛がられたとか。
その運命の出会いの一年後ぐらいに、くまのパディントンの本が誕生することに。
ぬいぐるみを購入した時、ボンドさんは30歳ぐらいだったようですが、男性が「ぬいぐるみが一人でクリスマスを過ごすのは可哀想だなぁ」と心を
寄せるのも、ご家族がパディントンのためにベッドや洋服を作ってくれるのも、もうすでにそのぬいぐるみ(パディントン)は生きているかのようだなと。
ボンドさんと目があった(?)瞬間から、くまのパディントンは生まれるべくして生まれたみたいだな、と。
あぁ、その本家パディントンはどんな子だったんでしょう?
ボンドさんが7歳のころから食卓にマーマレードが出るようになった、という話も
本を書き出した頃は遠くまで旅行に行く人が少なかったのでパディントンをペルー出身にしたものの、後年ペルーへ旅行へ行く人も増えて「ペルーの
どこで生まれたのか教えてほしい」という問い合わせがくるようになったという話も、
パディントンは何歳でもありえる設定(9歳かもしれないし、50歳かもしれないとボンドさんが笑いながらインタビューで答えてらっしゃいました)
にした、という話も、どれもこれも、そうなんだー!!と驚き、楽しみつつ心に残りました。
そして、一番心が震えたのは。
とある日本の少年のお話。
パディントンのお話が大好きな少年は、翻訳を担当されていた松岡享子さん宛に「もっとパディントンを訳して欲しい!」とお手紙を出したそうなんです。
私も小学校時代によく使ったような原稿用紙に、小学生らしい文字で、そしてハッキリと要求していました。
彼は、本当にこの本が好きなんだなぁ、そりゃ続きが気になるよね、その切実な気持ちが伝わってきました。
7歳の子供らしい、ひらがなの多い文章の中で松岡享子さんのお名前だけは、しっかりと漢字で書いたところも偉いな、と。
そして、その直訴文(!)が展示されている、つまり松岡さんは大切に大切にその手紙を保管されてきたんだな、と。
そして、話はそれだけでは終わらないところが凄いところで。
彼が手紙を出して約40年後、松岡さんと少年(だった田中琢治氏)が共訳したパディントンの本が出版されたというではありませんか!!
じーん。
田中さんは、ずーっと、ずーーーーっとパディントンが好きだったんだ、忘れてはいなかったんだ、彼の心の中にずーっとパディントンはいたんだ、
という私の勝手な妄想。
そして、自分が大好きな本を自分が翻訳することになるなんて!
何かを好き!というパワーが生み出すものは凄いって常々思っているのですが。
この話を展示室で知ったとき、ますますその思いを強くしました。
松岡さんも、その少年(+40年)の気持ちを汲んで共訳にしたというのが、凄い。
この話だけでなく、世界中でいろんなパディントンの縁があるんだろうな、ってまた勝手に妄想してみたり。
この共訳本が初めてのパディントン体験になる人もいるわけで。
じーん。
次世代の共訳者が育つかもしれないですよね、これから。
1冊の本が、キャラクターが、心の中に棲み続ける。
やはりそれは、ボンドさん自身がパディントンを「現実の存在だと強く感じている」と仰っているように、その想いが読み手に伝わっているんだなぁ、と。
私も心にパディントンを棲まわせるような人生を送りたかった……
少なくとも映画のパディントンを通して少しはいてくれてるかな??
これからもパディントンは新しいイラストや映画などいろんな形で時代を越えていくんだろうなぁ。
もう少しパディントンのことを知ろうと、まずはこちらをポチリとしました。
ぜひ2も観てみてくださいませ。