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日本画の教科書展 京都編 第2章

※ 記事内に商品プロモーションを含んでいます

第2章 画家たちのまなざし

 

京都から東京への遷都、西洋文化の流入などにより時代が移り変わるなか   社会における様々な価値観が急変していきます。              それは京都に生きる画家たちにとっても同様であり、山水花鳥など伝統的な主題ジャンルを継承しながらも新たな表現や感覚を取り入れ試行錯誤を繰り返して いきました。

 

 

 

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『大原女』土田麦僊

 

頭に籠をのせて売り歩く京都の大原女を描く。

制作にあたり吉野と大原の里に複数回滞在。

盛り上げ胡粉による桜の表現には桃山絵画の影響がみてとれる一方、

大原女の描写にはルノワールセザンヌなどへの意識を感じさせる。

足元に複数の線を残す点や目の粗い紗を用いた点も独自の工夫であろう。

「骨身をけずる思い」と作画の苦労を語る画家の自信作。 

 

「骨身をけずる思い」までして仕上げた絵を、その一言が説明に書いてなければ

へー、明るい絵だなぁ、とか幹の描き方が好きだなぁ、みたいな感想だけで

終らせようとしていた私。

なんだか、本当に申し訳ないなぁ、と。

まぁ、土田麦僊は私のために絵を描いてくれた訳ではなく、自分の納得いく作品を

ただ完成させたいというお気持ちだったとは思うものの。

もっと真剣に絵に向き合わないといけないような気が……。

絵を描く人の方が、その大変さ凄さなどがより分かるんだろうなぁ。

 

 

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 『火口の水』山元春拳

 

洋画や写真技術を研究。伝統的な写生画風に新風を(吹き込む、

だったかな??メモが途切れておりまして…)

実際に登山し撮影した写真や写生をもとに山岳の自然を描いた作品を

数多く残している。

風化する溶岩の山肌や遠方の雪山の上方に浮かぶ三日月が印象的。

水面に緑を映す火口湖で水を飲む2頭の鹿はごく小さく描かれ

火口原に広がる景観の雄大さが強調されている。

円山四条派の写生技術に洋画の遠近法と写真のリアリズムを加味した

作品。

 

この作品もすごかったなぁ。

雄大な自然を絵に閉じ込められるなんて!と興奮した文字でメモってあります。

 

 

お次は上村松園の作品をまとめて。

 

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『新蛍』上村松園

 

簾越しの女性像は松園が好んだテーマで多くの作例が残る。

蛍は初期から晩年まで繰り返し描かれたモティーフ。

 

「近所に蛍が生息し家にも入ってくることがあった」と松園の息子さんが

話されていたそうです。

 

それにしても、よく簾越しの絵を描けるなぁ。一体、どうやって描くのか

見当もつきません……。

 

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  左:『砧』上村松園

  右:『春のよそをひ』上村松園

 

耳たぶ、指先、足先がほんのり赤く。

雪のような白い肌や、手の仕草の美しさ。

『帳』は「肖像のような又仏像のような気持ちで描いた」とか。

 

 

上村松園の言葉が紹介されていました。

 

私は大てい女性の絵ばかり描いている。

しかし女性は美しければよいという気持ちで描いたことは一度もない。

一点の卑俗なところもなく清澄な感じのする香り高い珠玉のような絵こそ

私の念願とするところのものである。

その絵を見ていると邪念の起こらない、またよこしまな心をもっている

人でも、その絵に感化されて邪念が清められるといった絵こそ私の

願うところのものである。

 

あぁ。謎が解けました。

上村松園の作品を見るたび、ただの綺麗な絵ではなく気迫を感じていたのは

ある意味間違いではなかったのだ、と。

上村松園の強い気持ちが、ひしひしと伝わってきていたからなのだ、と。

私のなかの”よこしまな心”がきまり悪そうに、もぞもぞしていたからこそ

落ち着かなかったのか、と。

 

上村松園の言葉は続きます。

 

芸術は以て人を済度する。これ位の自負を画家はもつべきである。

よい人間でなければよい芸術は生まれない。

これは絵でも文学でも、その他の芸術全体にいえる言葉である。

よい芸術を生んでいる芸術家に悪い人は古来一人もいない。

みなそれぞれ人格の高い人ばかりである。

真・善・美の極致に達した本格的な美人画を描きたい。

 

 

上村松園の息子さんである上村松篁の作品と彼の言葉も、すこし後の展示で

紹介されてました。

 

絵は小さい頃から好きだった。絵を描いて一生過ごせたら幸せだと思い

画家になろうと心に決めた。

しかし母は決して教えようとはしなかった。

この道は自分で拓くものだと考えていた。

 

お母様、徹底していらっしゃる……。

 

私は小さな生きものが好きで金魚や鳩を見ていると何時間でも

飽きることがなかった。

それぞれの顔や形が全部見分けられた。

好きなものを見、好きなものを描いているうちに花鳥画家になり

今日に至った。

その間、伝統と創造をめぐって世の中にはさまざまな動きがあり

その中で心が揺れたこともあった。

しかし絵を描きたいという気持ちに何の変りもなかった。

むしろ、そういう時こそ絵への執心が強まったように思う。

 

 

上村松園と息子さんの絵は、こんな感じで展示されていました。

 

 

 長くなりましたので、一旦ここで〆させていただきます。

 

 

 続きは、こちらに。

 

usakameartsandcinemas.hatenablog.com