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ミュージアムシアター「伊能忠敬の日本図」

※ 記事内に商品プロモーションを含んでいます

7月1日で終了してしまったのですが、トーハク内にあるミュージアムシアターで「伊能忠敬の日本図」を見た話をば。

結構な人気で9割ぐらい席が埋まっていたような。
皆さん、よくご存知だなぁ。

で、伊能忠敬。

私事ですが4月から万歩計を使い始めまして。

これと迷ったんですよねぇ。

伊能忠敬の弟子となり、海岸を歩いて日本一周を目指すという設定らしいです。
ただ数字が出るだけよりも面白そうじゃない?!と。

でもまぁ、飽きっぽいので。なので、シンプルな万歩計にしたんです。

ですが、一週間ほど前、洗濯機で洗ってしまい。
ドライヤーでちょっと乾かしたりしたんですが復活せず。無念です。
これが伊能バージョンだったら、もっとショックだったろうなぁ。

ま、そんなことはさておき。

能忠敬の日本図には正本・副本そして写本があるそうで。

正本は幕府に提出したものの1873年に消失してしまったとか。
そして、地図としての正確さだけでなく絵画のように美しいというのです。

地図が美しい?はてさて。

伊能忠敬は今から約270年前に千葉県九十九里に生まれ、18歳で伊能家に入り家業で成功。

50歳で隠居し、測量術や天文学を江戸で学び。

56歳で地図を作ろうと思いたち、そこから17年間 日本各地を歩いて測量し精度の高い日本図を作り上げた、と。

隠居したあとから天文学などを学ぶということは、本当にやりたかったんだろうなぁ、と。

私だったら、今さら学んでも役立てる場面がないし、とか躊躇してしまいそうなんですが。しかも56歳から日本各地を巡るって……。
すごい体力と気力だなぁ。

 

伊能忠敬の日本図は、

小図(3枚で構成されている)   縮尺は1/432,000

中図(8枚で構成されている)   縮尺は1/216,000

大図(214枚で構成されている) 縮尺は1/36,000

大図をすべて並べると縦横50メートルにもなるとか!

ちなみに、伊能忠敬が作った日本図は伊能図とも呼ばれているそうです。

伊能忠敬は日本全国の海岸線と主要な街道を計測。
そうなんだ!てっきりもう、津々浦々かと。
いやぁ、それじゃ作り始めるのにも何十年かかりますよね。


告知映像にもありますが、大きく書かれた文字は国を表し、それよりも小さな枠に書かれているのが郡、細かく書かれているのが町や村の名前。

地図記号も使われていて、神社(鳥居の形)、お寺は△、宿場は○などなど。
赤い星は、なんと天体観測を行った場所とか。歩いただけではなかったんですね。

そうか、天文学も学んだって言ってたんだった。

江戸のあたりは、こちらで見られます。

赤い線は測量ルート。これを拡大してみると肉眼では見られないけれど針で開けられた穴があいているそうで。

下図から綺麗な地図に仕上げるために針穴を使った、と。

伊能図には正本・副本・写本があり、正本と副本にはこの針穴があるそうです。
写本は正本と副本を写したものなので針穴がない、と。

正本は幕府に提出されたものの明治6年にすべて消失してしまったとか。
今の技術だったらコピーをとっておけたとは思うけれど、残念でしたねぇ。
現在、トーハクが所蔵しているのは副本とのこと。
でも、副本は無事で良かった!

伊能図の前にも、日本の地図はあったそうで。

伊能図よりも80年ほどまえの大日本国大絵図といい石川流宣が1712年に完成させたものだとか。

距離や形の正確さよりも、旅行のガイド的な要素が強かったとか。

伊能図よりも約100年前に作られたという対馬の国絵図は、とても正確な地図ですでに高度な測量技術があったことを裏付けているそうです。

伊能忠敬たちは蝦夷(北海道)から測量を初めたそうですが、まさかの自費、そして人員は6名。全10回の測量のうち、最初から4回めまでは自費!

5回めからは幕府直轄の事業となり、人員も資金も充実したとか。
なので志摩の入り組んだ海岸線も測量できたということです。

測量日数は900日を越え、移動距離は約1万3000キロ。

途中で病気とかしたら本当に大変だったろうなぁ。

象を見に長崎の出島へ出掛けた、なんて記録も残っているそうで。

伊能忠敬たちが測量をしている様子を描いた『浦島測量之図』

もう少し大きな画像があればよかったんですが、残念ながら見つけられず。
海岸で伊能忠敬たちが測量をしている場面。
その絵のなかに、細長い棒を持って立っている人物がチラホラ。

その正体は梵天(ぼんてん)。

ナビゲーターの方が実物を持って登場したので驚きました!

そして長い!!長さは2間=約3.6メートル。

梵天と梵天の間を歩測していくそうで伊能忠敬たちの1歩は69センチなるよう正確に歩く訓練をしていたとか。

記念すべき1回めは歩測がメイン。

それ以降は間縄(けんなわ)や鉄鎖(てっさ)をものさし代わりに使ったとか。

そして方位を測るのは杖先方位盤という道具で、今でいうコンパスにあたるとか。方位盤が常に水平を保つことができたそうです。

方位盤の写真が↓こちらに

測量の精度を上げるため山の方位や、各地で天体観測をして緯度を測ったり。

昼間に歩き疲れたからといって、夜のんびり出来るわけではないのですね。

そうした測量結果を紙に書き写し下図が完成(導線法)→下絵の点を針で写し取る→写し取った針穴を赤い線で結び、海岸線や海の色などを書き加えて地図が出来ていく。

導線法については、こちらのページの一番下に説明がありました。

そして伊能図の特徴は正確さだけでなく、その美しさにもあるといいます。

絵の具の色も美しく、桜島にはたなびく煙、城下町などは測量に同行した絵師たちのスケッチなどを参考に描かれているとか。

なぜ伊能忠敬は地図を作りたかったのか?

それは地球の大きさを知りたかったからではないか、と。

緯度1度の正確な長さが分かれば地球の大きさも計測できるはず、という思いがあったのかもしれない、と。(他にも、人の目を覚ますようなことをしたいとか動機はあったそうで)

富士山は、あちこちから測量の基準とされていたそうで富士山山頂には赤い線がびっしりと引かれていました。

こちらの記事は有料会員専用だそうですが、大図がいかに大きかったかが分かる写真は見られます。体育館に広がる大図!

 

伊能忠敬に関する本、まずは入門編を読んでみたいなぁと思う今日この頃。

そうそう、最後にスクリーンの前で写真撮影可能でした。

とても肉眼では見られないものを拡大して見せてくれたり、地図で日本旅行したかのような気分を味わえたり、なによりナビゲーターの方が実際に喋りながら進行するという臨場感溢れ楽しいミュージアムシアター。

現在は、土偶だそうです。土偶ぜひ見たい。

縄文展の後期展示を見る前に是非見たいです。