6月2日まで上野・国立西洋美術館にて開催中のラファエロ展。
一週間経過して、ようやく興奮の熱が下がってきたので勝手に見た感想をば書こうかと。
(と言っても、小学生並みの感想文なんだけど)
先週日曜日。
朝10時ぐらいに美術館に到着したときは、チケット購入窓口3列に、各15人以上がびっしり並んでおりました。もしや、中も混んでいるのでは、、、と思いましたが、それほどは混雑しておらず一安心。
まず1作品め、私個人としては「おお!ここに!!」という作品でした。
いや、ラファエロ展なんだから、一番ふさわしいお出迎え、といえばふさわしい作品だったかも。
作品の流れとしては、
1.画家への一歩
2.フィレンツェのラファエロ
3.ローマのラファエロ
4.ラファエロの継承者たち
という構成でした。
一通り最後まで見終わったあと、通路を戻って最初から作品を見直してみました。
もちろん、初期の絵も綺麗で完成されているのですが(完成しているのは、当たり前か)
後年の作品を見てしまうと、初期の作品には何かが足りないような。。。
何だろう。
なんだか平面的すぎたり、迫力が足りないような???
とか書きつつ、前半にあった『聖セバスティアヌス』大好きだなぁ。
絵はがきもクリアファイルも購入しちゃったしな。表情といい、背景といい、洋服の描写も好きだなぁ。
一番意外性があって、思わず「おぉ!!」と言ってしまったのは『無口な女(ラ・ムータ)』。無口、なだけあって(いや、そもそも絵は口をききませんが)なんというか、背景も暗いですし、正直地味な作品だな~って結構さらっとみて次へ進もうとしたのです。
ですが。
ちょ、ちょっと、なんですか、このリアルさ!!
彼女の衣服の描写が尋常じゃない。
画集だったら、この繊細な描写は再現できないかもしれないなぁ。やっぱり見に来てよかったなぁ、と。
そして『大公の聖母』。美術展の看板やチケットにも使われているこちらの絵。
ホームページによりますと
タイトルにもなった「大公」とは、トスカーナ大公フェルディナンド3世のこと。18世紀末、フィレンツェがナポレオンに占領された激動期にこの絵を手に入れ、亡命中も肌身離さず大切にしたといわれています。
絵をみる前、この文章を読んだとき、いやいや、それはないでしょう、と。追い詰められてるのに、絵を持っていこうだなんて、と。
いやいやいや、すみませんでした。
これは、持って逃げてしまう気がします。あまりの素晴らしさに、これは手放したくないかも。
この絵を独り占めしながら、大公さんは何を考えていたのかしら。この1枚だけのために、もう一度足を運んでもいいなぁ、と思うぐらいです。
いやいや、その際は『エゼキエルの幻視』も見ますけど。
『ベルナルド・ドヴィーツィ枢機卿の肖像』に描かれた人物の右手もじっくり見ます、はい。
37歳という若さで世を去ってしまったのに、その成し遂げた仕事の多さと質の高すぎること、この上なし。まいっちゃうよなぁ、一人でこんなにやってくれちゃって。
凡人にも、少しは猶予を残してくれないと。。。とか、訳のわからんことを思いつつ、約500年前の天才の仕事に酔いしれたのでありました
ルネサンスの時代、人々はラファエロやダ・ヴィンチたちの仕事ぶりを、どんな風に見ていたんでしょうかねぇ。
まぁ、庶民だったら自画像などの絵を描いてもらうなんてことはないだろうから、やっぱり高嶺の?人たちだったのかしら。
「●●展」という展覧会は数多くありますが、よーーーくタイトルを見てみると「●●展 ●●とその時代」のように、メインの作品が数点と、あとは同年代の画家たちの作品で構成された展覧会もあったりします。
今回は、多くのラファエロ作品を日本にいながらにして、その上1か所でみられるなんて本当に贅沢だなぁ、と。
そうそう。今回の展示は、階によってもイメージカラーが違っていてただ作品を展示するという時代ではないのねぇ、なんて、これまた勝手に納得する今日この頃であります。