展覧会

《文字の博覧会展》

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《文字の博覧会展》へ行ったのは何か月も前なのですが。
その展示内容の面白さ奥深さと共に、心に深く残った言葉がありました。

それは、展示室の一番最初に貼りだしてあった八杉佳穂氏の言葉。

昔々、マヤ文字に興味を持った時に八杉氏の本を購入したので

展示室でお名前を見て、おお、お久しぶりです!と勝手に心の中でご挨拶。

もしかしたら、この本にその文章が掲載されているかもしれない、と購入。

本の最後の方にある”人はなぜ文字を生み出したのか”という八杉氏の文章に似ている部分もあるのですが。

展示室にあった文章が本当に素敵だったので、必死にメモってきたものを紹介させていただきたいと思います。

もしかしたら、誤字、誤変換もあるかもしれません。
改行は、このブログの横幅に合わせて改行しているので、オリジナルとは異なります。
しかも途中で手が痛くなり、はしょらせていただいてる部分があります。

また関係者の方々などから消去の要請がありましたら、即座に消去させていただきます。

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文字の伝えること

私たちはなんの疑問を持たず文字を使っています。

とくにスマホの発達で、以前にもまして文字を当たり前のように使うようになりました。

しかし、あたかも自然のごとく獲得していくことばと違い文字の習得には意識的な学習が必要です。
そのため文字を持たない民族はいまでもたくさんいます。

ことばは、話す端から消えていきます。目に見えません。
その目に見えないことばを目に見える形にしたものが文字です。
それは人類の偉大なる発明のひとつです。

文字が発明されたおかげで、記憶負担は少なくなり、知的活動が拡がり、文明は発達していきました。
同時に文字を通して、人類の知的遺産を誰もが共有することができるようになりました。

文字はエジプトからメソポタミアにかけての地域、中国、そしてマヤ文字などを生んだ中米で生まれました。

5000年あまりの文字の歴史の中で、文字は300ほど数えられますが それらは表語(表意)文字と表音文字に大きく分けることができます。

現在世界を見渡すと、漢字、ラテン文字、キリル文字、アラビア文字、インド系文字でほぼ世界は覆われています。

このうち漢字以外は音を表す文字です。

もっとも表語文字だけでは ことばの世界をあますことなく表すことはできません。
必ず音だけを表す文字が必要となります。

表音文字は仮名のような音節文字と、母音字と子音字を持つラテン文字に代表される単音文字があります。

~中略~

文字の目的は、表語、すなわち音と意味を持つことばを形にすることであり表音文字と言えども意味ある単位になるようにつなぎ合わせていかなければなりません。

発音通りならいいのですが、フランス語や英語のように一つ一つの単語を覚えなければならないほど複雑な規則を持つ場合もあります。

言語の変化に逆らって、そのまま綴りを残しているのは表語性が大事であることを示していますが、そうなると漢字を覚えるのとあまり変わらない学習が必要となります。

今回の展示の多くは表音文字です。
簡単な読み方の規則を学べば、何とか読むことが可能です。
それは喜びです。しかし残念ながら読めても意味は分かりません。
文字は言語と結びついているからですが、文字を学ぶことは言語や文化を学ぶ一歩でもあります。
文字のおかげで知らないことを学ぶことができます。
言いたいことを書き遺すこともできます。
時も所も離れた人と通じ合うこともできます。
しかし、話しことば以上に傷つけあう凶器となることさえあります。
人間が生み出したさまざまな文字を通して、文字の役割や意義を考えてみる機会になることを願っています。

八杉佳穂
国立民族学博物館名誉教授

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私も、なんとかしてこのことばを覚えておきたいと必死に文字を書きました。

遺したい、覚えておきたい、誰かに伝えたい。
そんな思いや欲が文字という形になり、脈々と受け継がれ、また今後も文字やことばは発達をしていくんだろうなぁ、などと思った展覧会でした。

展示品の中には、今までも、そしておそらくこれからもお目にかかることはまずなさそうな文字が沢山あり。

その文字たちが消える前に、と世界を回って資料を集めてこられた中西亮氏のすごさを、またこの記事を書きながら感じました。

印刷会社の六代目社長さんだった方だそうですが、職業上だけでなく純粋に文字を、そして旅を愛されたのかな、と勝手に思ってみたり。

25年かけて100以上の国を訪れたとか。
遺族の方により民俗学博物館に寄贈されたことで、中西さんのコレクションが散逸することなく、現在は中西コレクションデータベースでも見ることができるそうです。

中西コレクションデータベース -世界の文字資料-

それにしても、積読が減らないのは文字が手元にある、という安心感がなせる技といいますか。
手元にあれば、いつでも読めると思うとついつい後回しになってしまって。
その中には本当に自分が知りたい事や、思いもかけない発見が眠っているかもしれないのに……。

展覧会で購入した図録も、パラパラっと読んだだけのものが沢山あるし……

と、自分のダメダメぶりしか出てこない今日この頃です。