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若冲展 特別記念講演⑤

※ 記事内に商品プロモーションを含んでいます

さて、若冲展の特別記念講演で聞いた話をメモを頼りに書き起こしております。

 

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Yは司会の山下裕二さん

Tは辻惟雄さん

Jはジョー・プライスさん

Eはエツコ・プライスさんを表しております。

エツコさんがジョーさんの言葉を通訳して下さっています。

 

 

 

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■≪紫陽花双鶏図≫の紫陽花部分のアップ写真

 

Y「この紫陽花の花弁。この線は、輪郭線を引いているのではなくて絹の素地を

 残しているんですね。相当、集中力がなければ描けない細かい描写だと思います」

 

 

■≪雪芦鴛鴦図≫の写真

Y「これもプライスさんが荻原さんから購入されたそうですが、これは≪紫陽花双鶏図≫

 と一緒に買われたわけではないんですね?」

 

E「次の年です。≪紫陽花双鶏図≫と≪雪芦鴛鴦図≫と二点同時に出たんですけれど

 若かったのでお金がなくて、≪紫陽花双鶏図≫だけ購入して。

 帰国してから銀行でお金を借り、≪雪芦鴛鴦図≫を買おうと翌年戻ってきたのですが

 その時、荻原さんは値段を吊り上げていたんですね」

 

Y「値段を倍にしていた」

 

E「それで、なぜこんなことをするんですか?と聞いたら、良いものが出るときは

 一度しかチャンスがないかも分からないから、ということを教えるために、と。

 それでも倍の値段で購入しました」

 

E「この絵はジョーがとても気に入っていて、雌の頭の部分が水に入っていて…」

本当だ、水中での描写なんですね。

 

E「素晴らしい表現の仕方で」

 

E「若冲の絵を見るときは絶対にディテールを見ていただかないと、

 若冲の本質は分からないと思うんです」

 

Y「鴛鴦は≪動植綵絵≫の中でも≪雪中鴛鴦図≫というのがあります。

 鴛鴦夫婦というぐらいですから、普通は夫婦和合の象徴として描くんですが

 若冲が描く鴛鴦は、全然仲が良さそうじゃないんですね。

 全然違う方を向いているし。

 ここにも何か若冲の意識が投影されているんじゃないかと思うんですけれど」

 

 

■≪虎図≫の写真

Y「これが≪虎図≫です。

 若冲自身が賛の中で、これは中国の絵を模写したと書いていますが

 この絵の元になる絵が、京都の正伝寺にあります。

 現在の研究では、この絵は中国ではなく朝鮮の絵画だろうと言われていますが

 若冲は中国絵画だと思って模写しています」

 

 

■≪虎図≫アップ写真

 

Y「若冲の絵はオリジナルを凌いでいていますね。これだけ拡大すると、どれだけ

 若冲の筆遣いが細かいか分かると思うんですが。

 辻先生は、この絵がプライスさんのところへ入る前はご存知でしたか?」

 

T「知らなかったです」

 

Y「では、プライス・コレクションに入ってから、辻先生も初めてご覧になった、と。

 この作品は若冲における模写という行為を考えたときのカギを握る非常に重要な

 作品ですね」

 

T「だいたい、模写というのは原本の方が素晴らしく、模写した方が劣るのに

 (若冲の場合は)逆になってるっていうのが」

 

Y「普通では考えられない。つまり若冲の模写というのは一旦全部パーツをバラバラ

 にしてピカピカに磨き上げて組み立て直すみたいな。

 オリジナルを見る目も、見かたも、常人とは違うみたいなことだと思うんです」

 

 

■≪虎図≫賛部分のアップ写真

 

Y「ここに、毛益(もうえき)という中国の画家の名前。倣毛益の”倣”という字が

 あるのが分かると思います」

 

 

■≪鳥獣花木図屏風≫の写真

 

Y「これを購入されたのは、ずいぶんあと。1980年代」

 

E「1985年です」

 

Y「1985年になってから、と。これは今、プライス・コレクションの中でも最も

 有名な作品になりましたけれど」

 

 

■≪鳥獣花木図屏風≫のアップ写真

 

Y「約1センチ四方の升目の中を四分割、中には九分割してるところもあったり

 します。

 これ可愛いですよね。(右双の一番左にいる茶色いペタっとした動物)

 ピカチューみたいな、ジャクチューみたいな」

 

くっ。笑ってしまった。

 

 

■≪鳥獣花木図屏風≫を囲んでいる模様のアップ写真

 

Y「周りはこうゆう不思議な柄になっていますけれども。

 これは最近判明したんですが、ペルシャ絨毯で同じものがある、と。

 その現物が埼玉の遠山記念館というところに所蔵されていて、祇園祭の鉾の飾りに

 使われていた、と。ですから間違いなく若冲ペルシャ絨毯そのものを見ていると

 思います」

 

 

■≪鳥獣花木図屏風≫升目のアップ写真

 

E「升目は偏っていたり、とにかく自然体で。計算高く描かれたものではない、と」

 

と、ここで、赤いトサカみたいな不思議な部分を見て辻先生が

「なんですか、それ?!」。

いいなぁ、若冲研究の第一人者として、もう幾度となく見てるであろうに。

まだ疑問がでる絵なんですねぇ。

 

Y「なんかの実なんじゃないかと思うんですけどね。

 で、この屏風は長らく東京国立博物館に預けてあったそうです」

 

 

■≪鳥獣花木図屏風≫の屛風の一番外側の黒い部分に、細長い紙が。

 そこには縦書きで何か書いてある写真

 

Y「プライスさんのところで僕が撮ってきた写真なんですが

 ここに若冲筆鳥獣図屏風 武内家と。武内さんというお宅の持ち物で、東博の蔵の中に

 預けてあった。けれど全然展示したことがなかった。

 当時、東京国立博物館にいらっしゃった小林忠先生が当時の上司に、この作品を

 展示したいと言ったけれど却下された、という話があります。

 今でも残っている、この癖のある細い文字というのは間違いなく小林忠先生の筆跡

 です。

 そして今日、小林先生も会場にいらっしゃっているので、せっかくですから登壇を」

 

おおー。

 

Y「小林先生、今ごろアメリカへいってらっしゃるご予定だったのが、ご多忙のため

 アメリカ行きを断念されて今日こちらの会場に来ていただいております。

 これは、間違いなく先生の筆跡ですね?」

 

小林氏(以下、Kとさせていただきます)

「恥ずかしながら…」

 

Y「何年前でしょう?」

 

K「今から50年ほど前ですね」

 

つまり、もう50年も小林先生の文字と屏風は一緒な訳ですね!

あー、展示の時、端っこ見たら先生の文字が見えたんですかねぇ??

あまりにも混雑していたので、今回はよく見てこなかったんです。

後期展示で、これも確かめてこなければ。

 

追記 : 5/21に確かめてきました!ありました!確かにありました!

右雙の右端に貼ってありました!!

 

 

Y「小林先生は東博の館員時代に、プライス・コレクションを借用した若冲展観という

 のを開催されていますね。確か1971年だったと思います。

 その時には、この屏風はもうご覧になっていたんですか?」

 

K「いえ、まだです。この屏風は、国立博物館の日本絵画を収めている蔵の

 一番奥の方に箱に入っていたんですね。屏風というのは開けるのが大変なので、

 一人ではなかなか開けにくい。

 ただ若冲展、実は辻さんとプライスさんにそそのかされて(!!)やったような

 展覧会でして。

 ≪動植綵絵≫は東京国立博物館ならば借りられるだろう、と。

 プライスさんが、小林がやるんだったら自分の費用で自分のコレクションを運んで

 あげる、保険も自分が掛けてあげる、ということで。

 多分、100万円ぐらいしか費用がなかったんじゃないかと」

 

Y「しかも、プライスさん図録を何百冊も買い上げてくださって」

 

K「千部しか作れなかったのを300部も買ってくれて。大変好評で、なくなって

 しまったので少し(プライスさんから)いただきました」

 

Y「完全におんぶに抱っこという」

 

この容赦ないツッコミと、隠し立てしないトーク内容。

うーん、いま思い出しても面白い。

 

K「若冲の勉強をし始めて、蔵の中に伝・若冲だったか、若冲だったかラベルが

 貼ってある箱があることに気が付いて。

 その頃は、まだまだ緩やかな管理状態だったから一人でも蔵へ入れたんですね。

 その後は、どこの美術館でも2人以上で入るようになったと思うんですけれど。

 それで一人で開けてみたら、非常に珍しい屛風だったので。

 私も辻先生の後ろにくっついて、色々へんてこりんな絵(!!!)を見てたもの

 ですからこれは面白いな、と思って当時の上司に展示させてください、と。

 こっんなくだらない絵、国立博物館に並べられると思っているのか!と

 叱られました」

 

Y「その上司というのは、誰でした?」

 

K「…平安仏画の研究者でした。ふふ。平安仏画とは、遥かに趣が違いますからね」

 

Y「今ではプライス・コレクションで有名になったものが、半世紀前には展示する

 ことすら拒否された。

 小林先生は、その直後に『ミュージアム』という東博の研究紙に論文を

 発表されましたね?」

 

K「展示出来ないので、一部のみカラー図版にして論文化したんです」

 

Y「その論文を、後輩の私たちは読んで≪鳥獣花木図屏風≫の面白さを知ることに

 なりました」

 

ほー、辻さんが雑誌で若冲の絵の面白さを知ったのと同じ感じですねぇ。

 

 

Y「京都の古美術商の方が小林先生の論文を読んで、この持ち主から屏風を

 買い取られた。それをプライスさんが購入された。」

 

そうかー、論文から所在がバレたんですねぇ。

それにしても、古美術商の方も勉強してないと掘り出し物を見つけられないし

大変そうだなぁ。

 

Y「プライスさん、この屏風は初めて京都でご覧になったのですか?」

 

E「はい、確か1984年に。1985年に購入しました」

 

Y「辻先生は、これはいつご覧になった?」

 

T「大変遅いですね。プライスさんのところで見たんですが」

 

Y「じゃあ、日本では見ていない」

 

T「はい」

 

 

Y「プライス・コレクションの里帰り展というのは1985年(※)に東京の当時

 赤坂にあったサントリー美術館で『異色の江戸絵画』というのが開催されています」

 

サントリー美術館のホームページで過去の展覧会一覧を見てみたところ

『異色の江戸絵画 -アメリカ・プライスコレクション-』は1984年8月13日-9月23日と

記載がありました。

 

Y「その時は展示されていませんが、以後、プライス・コレクションと言えば

 この作品が有名になっていって。

 近年では2003年の森美術館のオープン記念展『ハピネス』という展覧会のときに

 私がお手伝いしたんですが、その時にもこの作品を借用しました。

 

 以後、全国を巡回したプライス・コレクション展。

 ごく近年の東北3県を巡回したプライス・コレクション展でも展示された。

 その時に、東北の美術館に長沢芦雪の作品の複製を寄贈されました。

 

 長沢芦雪筆 「白象黒牛図屏風」の高精細複製品を仙台市博物館に寄贈

 

 

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Y「色々な説がありますが、今までは升目の数が8万6千と言われていましたが

 数え直してみたら8万4千ぐらいじゃないか、と最近言われています。

 8万4千というのは仏教の用語で煩悩の数を表す数字とも。

 ですので、この絵の仏教的意味というのは今後ますます問われなきゃいけない」

 

枡目だけに、ますます。

いえ、何でもないです。

 

それにしても、煩悩って108という数字だけではないんですね。

 

そんな訳で、長くなりましたので⑤を終了させていただきます。

次回こそ最終回です。どんなに長くなっても最終回!の予定です。

 

 

 

 

 

 

 

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