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静嘉堂文庫美術館訪問記

※ 記事内に商品プロモーションを含んでいます

前回と前々回で書きました『よみがえる仏の美』展で、初めて世田谷にある

静嘉堂文庫美術館へ。

 

ホームページには二子玉川駅からのバス乗り場や時刻表が掲載されていて

助かりました。

往路はバスにして、復路は徒歩にしてみようかとも思ったのですが。

結局、往復もバスにしたのは方向音痴だからです。はい。

ちなみに地図には徒歩で行く場合の地図も掲載されております。

 

 

バスを降り、そのまま道なりに坂を登っていくと美術館の入口が

左手に見えてきました。

↑写真は、道路をはさんで反対側から撮影したものです。

 

 

入ってすぐ、その緑の濃さに驚かされました。

川が流れていたりして、世田谷にいる感じがしなくなってきました。

ゆるやかな坂も、最後の方は少しキツかったりして。

まぁ、それは私が運動不足だからだと思いますが……

 

 

坂を上りきった先に見えたのが

岡本静嘉堂文庫。

こちらの文庫は東京都選定歴史的建造物にも指定されているそうで。

説明によりますと、鉄筋コンクリート造2階建スクラッチ・タイル貼りの

瀟洒な建物で、イギリスの郊外住宅のスタイルを濃厚に表現している、と。

 

静嘉堂文庫は、三菱合資会社の第四代社長であった岩﨑小彌太が、その父・彌之助の

収集した日本や中国の貴重な古典籍を永久に保存し、更に研究者に公開することを目的に

建設したものである。

 

設計者の桜井小太郎(1870~1953)は、イギリスで建築を学び、英国風の

落ち着いた品格のあるデザインを得意とした。

岩﨑小彌太も明治33年イギリスに留学し、ケンブリッヂ大学を卒業した英国通であり、

両者の呼吸が一致した作品である。

内部は玄関ホール、ラウンジ、閲覧室、2階に応接室等があり、19世紀後半イギリスの

アーツ・アンド・クラフト運動の雰囲気をもっている。

 

文庫内は原則として非公開とのこと。内装はどうなっているのか見てみたいなぁ。

 

文庫の左手に美術館が見えるのですが、なぜ写真を撮ってこなかったのか。

 

美術館を正面に見て右側に庭園入口と書かれた案内板が。

そちらへ進んでいくと、え、ここでいいの?と

ちょっとドキドキ。

背丈の大きな木々が生い茂っています。そして、かなり段差を利用した庭園で

階段を下まで降りると暫くは平地で、また階段を登り、美術館前(先ほどとは反対側)へと

戻ってくるコース。

 

途中、竹林も見えました。ここは降りて行けないので、タケノコ狩りは出来ないと

思われます。(しないって)

 

 

さて、往路と同じでは面白くないということで別ルートで帰ることに。

美術館を正面に見て左側へと歩きだすと、何か狛犬のようなものが見えてきました。

納骨堂と言うことで、写真撮影は控えました。

 

この納骨堂を設計したのは建築家ジョサイア・コンドル氏で明治43年(1910)に

建てられたそうです。

コンドル氏は、先ほどの文庫を設計した桜井氏の師匠さんでもあったそうです。

なるほど、三菱一号館を設計したのもコンドル氏でしたし、岩﨑彌之助氏のお宅も

設計されているというのでご縁があったのですね。

 

先へ進むと、岩﨑彌之助氏の石碑が。

一般的な石碑というイメージを大きく覆す、大きな大きな石碑に

圧倒されました。

 

はて、ここは本当に世田谷なんだろうか、とまた思いつつ道を進みますと

今度は巨大な灯篭が。いや、この写真だとさほど大きく見えないとは思いますが

先ほどの石碑といい、この灯篭といい、歩いているうちに不思議な力が働いて

自分が小さくなってしまったんじゃないか、と思うぐらい。

なにやら日光東照宮にもありそうな感じの装飾でした。

 

 

そして、この灯篭の先が階段なのですが。

急角度がお分かりいただけますでしょうか。

 

この時、先に階段を下りている方がいたのですが。

見えない。まったく、降りている姿が見えない。

覗きこんだら、見えましたけど。

 

しかも少し前下がりな感じの階段でして。

ちょっと気を抜いたら、落ちてしまうじゃないかと少々冷や冷やしました。

 

下から見てみますと

うん。この写真だと伝わらない気がします。

 

階段を降り切り左へ進みますと(というか、左にしか行けないようになっています)

往路で二岐に分かれていたところへ出てきました。

良かった、ちょっと洒落っ気(?)だしてこちらへ来たら美術館へ到着前に

体力がなくなってしまうところだったかもしれません。

 

どうやら、この一帯は岡本静嘉堂緑地として保存されているようでして

説明によりますと、国分寺崖線の一画にあり、もとは岩﨑家が所有する庭園。

昭和20年ごろまでは庭園として維持管理がされ、その後は人の出入りもなく

ほぼ自然状態にあったため、貴重な自然が残された、とありました。

美術品鑑賞だけでなく、思いがけず緑も堪能できた一日でした。

 

 

静嘉堂文庫美術館へ行ったのは5月末なのですが、5月上旬に箱根・山のホテルへ

行く機会がありまして。

山のホテルは、小彌太氏の別邸跡に建てられたホテルということですし、

庭園には小彌太氏が集めたというツツジシャクナゲが所狭しと植えられていました。

 

という訳で、先月は思いがけずも小彌太氏と関係の深い(??)月であったなぁ、と

思う今日この頃です。

 

 

 

 

 

 

 

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