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日曜美術館 版画家・川瀬巴水②

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前半は、こちら↓です。

日曜美術館 版画家・川瀬巴水②

千葉市美術館

(再び千葉市美術館内へ画像が切り替わります)

A:井浦新さん

I:伊東アナウンサー

O:大林宣彦さん

A「見せ方、技で面白いなって思っているのはこちらですね」

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I「『時雨のあと』」

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A「京都・南禅寺の山門の前の風景なんですけど。

水に映り込む描写、巴水きっと好きなんだろうなぁっていうか。

当時の巴水がチャレンジしていた新版画というのは水鏡のなかの世界もしっかり描く」

O「映画の技術でもね版画に近い。CGとかね、そうゆうものでやるとき一番難しいのは実は水なんです。だから水は避けるんです。

だから版画も水は避けていたんだと思うのね。

でも彼は水鏡のなかに揺らめくものに命を感じたから、それを描きたいと思った。やはりこれは冒険ですよね技術としては」

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『佐渡相川町』

O「あ!これこれ!やっぱり佐渡だ。相川町。

僕ね、今年の春はやくここへ行ったんです。この夕日に記憶があった。この通りの赤い夕日だった。これ僕ね映画に撮ったんですよ」

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O「でねぇ、向こうに夕日あるから陰で真っ暗でしょう。

(画面右側を指しながら)本当はここもそうですよ。

でも巴水のねぇ作品の面白いのは、そこにほんのりと光を当てて僕たちに物語を見せてくれるのね」

I「話を聞いていると、まさに映画の1シーンを見ているような」

O「今はリアル、リアルという時代ですが優れた芸術というのは決してリアルじゃない。むしろリアリティというね。この光だって全部嘘ですよ」

A「これ見てると、本当に照明部の人が(ライトを)当てている光のように見えますもんね。はっきりはあてないけれど、優しい柔らかな光を暗闇のなかで、こうあてているような」

O「この線の一つ一つに光と影が忍び込んでいる。

だからここに人生が、この道が、いろんな人の人生が歩いた跡ってことを感じさせてくれますよね。

とても細やかなデリケートな作業を巴水が彫師さんと摺師さんと紡いでいったという」

 

弘法大師が発見したという群馬県の温泉です。

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『上州法師温泉』

モダンな作りの大浴場。窓の外には豊かな緑。差し込む陽ざしに白く輝く湯煙。

なんとも心地よい空間で、お湯を独占しているのは巴水自身です。

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奈良へ写生旅行へ行った巴水の映像です。

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法隆寺の近くにもかかわらず、小さな集落のなかを歩き目についた何気ない風景をスケッチします。

名所を描いても、どこか不思議なアングル。

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北は北海道から南は鹿児島まで、生涯旅を続けました。

巴水は多くの写生帳や日記を残しています。

千葉市美術館の西山純子さんは、そうした旅の記録をくまなく調べました。

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「これは写生帳の73で、昭和25年のですね10月から11月にかけての旅の記録なんですが、あまりあらかじめ旅程をたてずに描きたいところ絵心を誘う場所を求めて彷徨うように旅をしていた様子がよく分かります」

香川県にある海沿いのお寺に行ったときのスケッチ。

その時の様子が日記にも書かれています。

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雪みぞれふる余りの寒さにめしやにはいり、いわしのひらきの塩やきで一ぱいやり、海岸寺 松原写生

旅先でのスケッチと完成作を見比べると、ある秘密が分かるといいます。

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弘前 最勝院のスケッチ

「こちらが完成作で、こちらがもとになった写生なんですけれども

比べて違うことがありまして」

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「写生にはなかった添景(てんけい)の人物が(完成作に)登場しているということも大きな違いですね。

写生帳にはなかった添景人物が完成作では入るということが 、巴水にはよくあることで。

まったく人のいない風景よりも人がひとりポツンといる風景の方が、寂しさが感じられる、ということはあるのではないでしょうか」

そして74歳。

意を決して選んだ風景が岩手県平泉にある中尊寺金色堂でした。

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『平泉金色堂』

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石段に降り積もる深い雪。

その先に、たったひとり金色堂へと向かう僧侶の姿。

これが巴水の絶筆となりました。

亡くなる半年前の日記に自ら「版画ノイローゼ」と書き記しています。

いつになく迷い、何度も描き直したといいます。

巴水は、その20年前にも同じ場所を月明かりのもとに描いています。

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『平泉中尊寺金色堂』

それを真っ白な雪化粧に変えたのです。

実は、このとき巴水の身体は癌に蝕まれていました。

娘の文子さん。

巴水は痛みや吐き気に襲われながら亡くなる前まで描きなおしていたといいます。

「絶筆の時はね、もう具合が悪かったんですよ。

それで寝たり起きたり、やっぱり気分のいいときに2階に上がって。

上がったかな、と思うと下りてきたりするときは具合が悪かったみたいで。

手術してからは調子よかったんですけれど6月の末ごろから、なんとなくご飯食べなかったり。

それからは、ほとんど寝たきりですよ」

苦闘を物語る資料が残されています。

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画面右が完成作。

左の二枚が下絵です。

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よく見ると僧侶の位置が違います。

わずかですが完成作が一番金色堂に近づいています。

巴水は何とか下絵を仕上げましたが、版画の完成を見ることなくこの世を去りました。

絶筆『平泉金色堂』。

誰もいない石段を、ひとり歩き続ける僧侶の上にしんしんと雪が降っています。

O「名優は後ろ姿で演技する、っていいます、我々の世界では。

つまり正面からキャメラが映すと表情やいろんなことで演技するんです。

人間というのは目も鼻も口も、みんな前向いてるし、後ろは何もないんです。

何にもない後ろを映すことでね、お客さんは何が見るかというと心が見えるんですね。

巴水も後ろ姿で演技する。私の心を見てください、という。

これがきっと自画像ですよ」

A「一にも二にも旅が好きだったという、そうゆう自分自身を映すかのように遊行者をそこに自分の想いを託して、この石畳もまさに自分の歩いてきた人生の道で」

O「しかも歩き続けていった道ね。そこを描いているってことはね、

この絵自体が何か心象風景というか。絶筆ですか。

巴水が74歳でしょう。つまり僕の年齢で召されてるんですよね。

だからね彼の気持ちがよく分かるんです。

70を過ぎるとね、すべてやっぱり遺作ですよ。

本当に自分の残り時間はない、人の命には限りがある。

でも芸術の命には限りがない、永遠だ、と。

だから芸術の命に自分の命を移そうというね、そうゆう作業だったと思うんですよね」

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最後の最後まで作品作りに力を入れ、なんとか完成に近いところまで仕上げた巴水さん。

作品を残したいという気持ちが、大林さんの言葉を通してヒシヒシと伝わるような内容でした。

大林さんの口調が穏やかで、仰ることも「なるほどな~」と思うことが多く、

巴水さんの作品と人生を知ることもでき、日曜美術館のなかで大好きな回となりました。