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出光美術館 《祈りのかたち展 仏教美術入門》の説明パネルが大変興味深かった話

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美術館へ行き始めたころは西洋絵画が中心でしたが、ここ数年は日本の絵画もだいぶ見るようになりました。

西洋にしろ東洋にしろ宗教的な知識が(まぁ、全般的な知識にも)欠けているため、その場面がどういうものなのかとか分かってないまま見ているので。

少しずつ知識を増やしたいと思いつつ。増えるのは本だけで、なかなか……。

特に仏教に関していえば、ものすごーく大雑把なイメージしかなくて。いろんな如来様、菩薩様や四天王などなどがいらっしゃって。極楽と地獄があって、地獄には閻魔大王がいて裁かれるみたいな。

どんな教えがあるのか、とかもあんまりというか全く分かっていないというか……。

興味を持って調べたら知識増えるのにそれを怠っている私に対し、出光美術館で開催されていた《祈りのかたち展》内の極楽と地獄などの説明パネルが面白すぎて、失礼、興味をそそられるように書かれていて、あのパネルごと欲しかったなぁ。

一応メモってきたのですが、量が多くて抜けたり誤字があるかもしれません……。

あ、そうだ。

これから私がうだうだと書くことを、一枚のイラストで説明しているページがありましたので。

手っ取り早くお知りになりたい方は、こちら↓のページをご覧くださいませ。

まずは、人は死んだらどんなことを体験(?)するのかといいますと

人は死んでもすぐに六道のいずれかに生まれ変わるわけではなく冥土とよばれる生死の中間の世界があると考えられている。

死者はここで十王による生前の悪行に対する裁きを受け生まれ変わるべき世界を決定されることになる。

あー!冥土って、そういう意味なのか、と。

冥土って、なんとなく死後の世界という大きなブラックボックスの中に入れてたのですが。なるほど、中間地点なのか!!と。

冥土の土産に、ってよく聞くけれど。なるほど。

で、上記のことを踏まえて人が亡くなってからの流れを書くと

人は亡くなって亡者に→冥界へ旅立つ→最初の難所が”死出の山”。

山道を登ると初七日となり秦広王の書類審査を受ける→有名な三途の川を渡る

.

…..亡くなってすぐに渡るのが三途の川だとばかり。

死にかけて三途の川を渡ろうとしたら肉親の声が聞こえて息を吹き返した、なんて話を聞いたことがあったもので。あちらの世界と、こちらの世界では時間の流れが違うのかな。ぶつぶつ。

先ほどのマップでは、三途の川を渡ってから審査が始まるとなっていますが、展覧会の説明パネルでは川を渡る前に最初の審査が行われると説明がありました。

河は生前の善悪の行為の度合いによって渡る場所が異なる。

山水瀬…川の上流。水深が浅い。

強深瀬…川の下流。流れが早く波も高く水深が深い。

善人は川の中ほどにある金銀七宝の橋を渡り、悪人は危険を犯して河を渡る。

そうか、善人は橋を渡れるんですね……。無理だ。せめて、その金銀七宝の橋を遠くからでも拝みたいものです。

なるほど、渡る場所を決めるためには最初の審査は川を渡る前にある、という方が説明としてはしっくりきますね。

川のほとりに衣領樹があり、その下に鬼形の老婆・奪衣婆がいる。

渡し賃(六文銭)を持たない亡者が来ると、衣服を剥ぎ取って樹にかけ生前の罪の軽重によって枝の垂れ方が異なり、次の裁判の判断材料とされる。

あ、そうだ、そうだ。紙のお金をお棺に入れますが、それが渡し賃ですよね。あれ、どんな罪人でも渡し賃さえあれば船で渡れる???

で、いつもどおりWikipediaを読んでみましたら。

>平安時代の末期に「橋を渡る(場合がある)」という考え方が消え、その後は全員が
>渡し船によって渡河するという考え方に変形する。

あぁ、面白いなぁ。宗教でも考え方が変わっていくんだなぁ。どこの誰が、それを提唱しはじめたのかなぁ。興味深いなぁ。

賽の河原…親よりも先に死んだ子供たちが親の供養に小石の塔を作ろうとしている。しかし鬼が鉄棒で壊す。

子供に罪はないようだが親への恩返しも出来ずに先に死んでしまうことは大罪と考えられていた。

あぁ、ここの知識だけは正確に把握していたという。

あれ、つまり極楽へ行ける方々は、冥土にも行かず、そのまま極楽へ直行するということでいいのかしら。

と思っていましたら、のちのち別の説明パネルに出てきたのですが、どうやら直行できるようで。

それから、それから、三途の川の三途って、餓鬼道・畜生道・地獄道を意味するってWikipediaに書いてあったんですよね。

それ以外の道(人道・天道・修羅道)もあるのに、なぜその3つだけで名前をつけたのだろうか??六途の川とかじゃ、ゴロが悪いから?????

他には、渡る場所が3ヶ所あるから、とか、川を渡る方法が3つあるからという説もインターネット上に出てきて混乱。

ま、いろんな説があるってことで(結局は大雑把に把握する性格)。

裁きは初七日から七七日までは七日ごと、さらに百箇日、一周忌、

三周忌の節目に行われる。

七日ごとって、結構頻繁ですよね。もう自分が忘れちゃったこととか、忘れたふりしてることとか、洗いざらい根掘り葉掘り審議されるんでしょうかね。うわー。

先程ご紹介した”あの世マップ”によると、それぞれの王によって裁きの内容が違うそうで、殺生について、盗みについて、不貞についてなどなど1つ1つ裁かれるようですね。

しかも百箇日から三周忌までは、それぞれの王による再審査があったり、忌日にあわせた遺族による供養が亡者の裁決に影響するとも言われてるそうで。うっ。

遺族の力も必要なのね。

有名な閻魔大王は十王の一人。日本では十王は仏、菩薩が裁判官の姿をとって人々を正しい道へと導くと考えられており本地仏とともに描かれることが多い。

例えば、初七日は秦広王-不動明王、二七日は初江王-釈迦如来というように。

閻魔大王は五七日(35日め)だそうです。毎回、閻魔大王が立ち会って裁くのかと思っていました!!!

閻魔大王により、六道(地獄、畜生道、餓鬼道、修羅道、人道、天道)の何れに進むか裁きが下り、49日めに判決が確定するそうで。

”十王図”のような作品は、上部に十王が座っている&その前に裁かれている人がいて、中~下部にかけて地獄絵図が繰り広げられているので、ベルトコンベアー的に裁かれていき地獄へ行くのかと大きな勘違いをしていましたが。

実は裁きにも順番があるし、地獄だけじゃなくて他の”道”も描かれていたのですね、と今さらしみじみ思うのでありました。

六道という言葉は知っていたものの、地獄の種類なのかな、とかすごい勘違いしておりました。

さて、自分がどこに生まれ変わるのかが決定したところで、それぞれどんな場所なのか?? が気になります。

それは、次回書こうと思います。