東京富士美術館で開催中の《暁斎・暁翠伝展》。
ミュージアムショップに河鍋暁斎記念美術館の館長コレクションという絵はがきセットがありました。
私が購入したのはAセット。5枚1組で、後期展示されていた作品が1つ入っています。
『吉原遊宴図』
あぁ、これ見てみたいなぁ。
『蜂をさける女』
優雅に舞っている姿かと思ったら!確かに蜂が!!
『鯉魚遊泳図』
今回、この作品は展示されておりました。
『鳥獣戯画(画稿)』
暁斎が数え年3歳で初めて写生したのがカエルだそうで。
数え年ってことは2歳ぐらいで写生したんですよね??そのときから絵を描きたいという欲求があるなんて。
自らデザインしたカエルの灯籠を作ったり、生涯カエルが好きだったようで。
『鳥獣戯画I』
おお、これは確か三菱一号館美術館の暁斎展で見たことが。私、この作品を見るまで日本画は下図で訂正するとき紙を貼るというのを知らなくて。
バスの時間が迫っていたためすぐに会計をしてもらう必要があり、セットがいくつあったのか全く思い出せないという。とほほ
そして、こちらも購入。
『画鬼 暁斎読本』河鍋暁斎記念美術館編
画鬼をDEMON OF PAINTINGって表現するんですね。
河鍋暁斎記念美術館の館長さんであり、河鍋暁斎のお子さんである河鍋暁翠のお孫さんである河鍋楠美さんによると、暁斎が再評価されるまでにはかなり時間がかかったようで。
現在、河鍋暁斎記念美術館には画稿や下絵、絵手本など3,000点以上残っているそうですが、生前から人気のあった絵師であったため今なお完成品が見つかっていないものが大半だとか。
すごい多作なんですねぇ。
一体、生涯でどれぐらいの作品を手がけたのかまだまだ全貌がつかめないとは。
読本には暁斎の手がけた幅広い仕事ぶりや参考図書の紹介がありまして入門書(館長さんは入門書のさらに前段階になるもの、と書かれていらっしゃいますが)として読み応えたっぷり。
なにより暁斎の人となりが分かる記載がたっぷり。
写生の大切さを教わった暁斎(当時は周三郎)は、九歳のときに増水した神田川に流れてきた男性の生首を拾い、写生したとか。
そして、この話がヒントとなり絵を描いたアメリカ人画家がいるとか。
あ、そっちをメインにしたんですね!!という衝撃の絵はこちらで見られます。
あまり心地のいいものではないので、ご注意くださいませ。
私は、てっきり周三郎少年を描いた絵だと思っていたものですから……。
自らも大蔵流の狂言を習っていたとか(今回の展示でも説明がありました)、晩年は日課として観世音菩薩と菅原道真公を描いて神社仏閣に奉納していたとか、最晩年には狩野派の再興のために動いていたとか。
今までの展覧会の図録にも書いてあったのかもしれないのですが。
すみません。
暁斎の作品が見られる場所のひとつに長野・戸隠神社が紹介されていました。
そういえば6年ほど前、バスツアーで戸隠神社へ行きまして。
たまたま”夏越の祓え”があって本殿のなかへ入れさせてもらえることに。そのとき天井に描かれている龍の絵が川鍋暁斎の作品だと知ったのです。
正確には昭和17年に火災で消失してしまったものを平成15年に復元されたものだそうです。
今でも、そこで購入した龍の絵馬とお守りを大切に持っています。
ミュージアムショップで、こちらの書籍も購入。
あ!展覧会と同じタイトル。
ということは、そうか、これが図録代わりだったのか!と今さら気がつく私。遅い。
まさに、所狭しと作品が掲載されていて眼福です。
展示内容も面白かったし、写真撮影可能の作品も多く驚きました。
近々、展示内容についても書こうという気持ちだけはある今日この頃です。