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『2時間でまわる法隆寺』 その②

※ 記事内に商品プロモーションを含んでいます

2016年1月に放送された『2時間でまわる法隆寺』その①の続きです。

なお、情報は番組内で紹介されたままを書いているので現在とは相違があるかもしれません。ご了承ください。

また記事内で使っている写真は、私が実際に法隆寺で撮影してきたものを使用しています。

 

オプショナルツアー:法隆寺の不思議な伝説編

2時間以上かけて、しっかり法隆寺を見学したいという方向けの番外編。

日本初の世界文化遺産・法隆寺。その長い歴史の中で語り継がれるようになった伝説がある。

それがお寺公認・法隆寺の不思議。案内してくださるのは法隆寺で一番偉いお坊さん法隆寺管主・大野玄妙さん。

南大門

まず向かったのは法隆寺の玄関口である南大門。門の前にあるのが”鯛石”という魚の鯛に似ている石。言い伝えでは、このあたりに洪水が起こったときにはここから上には水が来ないと言われている。

五輪塔

五重塔の九輪(塔の先端部分)の根元のあたりに鎌が付いている。これは雷さんが鎌を見たらちょっと怖いから近寄らないだろうという今で言う避雷針、雷よけ。

ちなみに九輪に鎌は4本ついていて、”約1メートルの木製の柄に、30センチほどの鉄製の刃が付けられている”とか。

また軒下にある黒い部分は避雷符(ひらいふ)。鎌との二重の願掛けで雷を避けようという必死の願い。それでも何度か雷が落ちたが不思議と火事には遭っていない。

中門の近く

柵に囲まれた場所があり、そこが伏蔵(ふくぞう)という秘められた蔵の事。お寺が災難にあって立ち行かなくなったとき、伏蔵を開けるともう一回復興するだけの財宝が入っているとされている。

大野さん曰く「う〜ん、ねぇ私はむしろ何か入っているとすればお米、籾(もみ)なのかなぁと思ったりはするけれど。何が入っているか分かりません(素敵な笑顔)。精神的にお寺を守っていくための仕掛けみたいな感じはしておりますけど」

一体どのようなものを、いつ、だれがここに埋めたのか。そしてそれは本当にあるのか。これもまた法隆寺の不思議。法隆寺に伏蔵は3つあり、今までどれも開けられたことはないとか。

2時間ツアー続き

国宝No.8 大講堂 平安時代

金堂と五重塔の北にある大講堂。もともとは僧侶が学問を修める修業の場として造られた。今では仏像を安置する建物として使われている。

大講堂は平安時代の925年に落雷による火災で一度全焼。現在の大講堂は990年に再建された法隆寺では比較的新しい建物。

中には仏像が7体安置されている。

国宝No.9 薬師三尊像 平安時代

両脇には日光菩薩と月光菩薩を従えている。薬師如来は病気を治し長生きさせてくれるという仏様。手に持った壺に、あらゆる病を治す薬が入っているとか。

薬師如来をサポートするのが2体の菩薩。日光菩薩は太陽の光で、月光菩薩は月の光で昼夜の区別なく世界を明るく照らし出す。

薬師如来を四方から守っているのが四天王像。金堂にある四天王像とは表現方法がかなり違う。金堂の四天王像は感情を押し殺した厳しい表情。大講堂の四天王像は怒りをあらわにした表情をしている。

足元の邪鬼の姿も違っている。大講堂にある邪鬼は、私達がイメージする鬼の姿に近い。

おなかの部分には、顔が浮き出ている。肩にあるのは獅噛み(しがみ)という四天王を強そうに見せるための装飾。

大講堂は金堂ができてからおよそ300年後に出来た。その間に聖なるものと邪(よこしま)なものがよりはっきりと区別されるようになった。その差が四天王像の造形の差にも表れている。四天王像の変化に仏教の歴史を見ることができる。

薬師如来という仏像は法隆寺にとって特別な意味を持っている。もともと法隆寺を作ろうと言い出したのは聖徳太子の父・用明(ようめい)天皇。病気になった用明天皇が薬師如来を祭るお寺を作ろうと考えたことが法隆寺建設のきっかけ。

用明天皇は法隆寺完成前に崩御されるが、その遺志を継いだ聖徳太子が完成させた。

法隆寺おすすめ撮影スポットPart2

金堂と五重塔を一緒に撮影したい、また五重塔だけでも土台から頂上まで全体がきっちりとフレームインする場所がある。

目印になるのが排水口の蓋。ここから撮るのがポイント。

↓この写真の撮影位置よりも、もっともっと右のあたりに排水口の蓋があると思われます。

法隆寺の高欄

私もマンホールのところから撮影するといいですよ、と言われて撮った気がするんですけど。位置が違ったようです。ははは。

国宝No.10 回廊 飛鳥時代

法隆寺の回廊

まずは柱に注目。よく見ると柱の真ん中あたりが僅かに膨らんでいる。エンタシスと呼ばれる僅かな膨らみが立ち並ぶ柱を見渡したときに美しいリズムを生み出す。

柱の前にある大きな窓は連子窓(れんじまど)。窓に立つ格子の太さが違うのは、長い年月の間で風化が進み一本一本個性が出てきたため。表面の木目や節が残っていたり、木の質感に歴史を感じる。

格子の微妙な太さの違いが映し出す影に変化を与えている。足元を見ながら歩いて光と影のコントラストを楽しむのも一興。

国宝No.11 鐘楼 平安時代

回廊で囲われたこのエリアには、あと2つ国宝の建物がある。それが経蔵(きょうぞう)と鐘楼。

奈良時代に建てられたが大講堂と同じ火事で焼け落ち再建された。

法隆寺では大晦日に除夜の鐘をつくことがない。1400年の歴史の中で唯一大晦日に鐘が鳴り響いたのは1993年の年末。世界遺産に登録されたとき。

(NHKの『ゆく年くる年』の映像が流れました)

オプショナルツアー:柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺編

「柿くへば 鐘が鳴るなり 法隆寺」という正岡子規の有名な一句。当時28歳の正岡子規が、西院伽藍を出たところにあった茶屋で柿を食べたときの情景を詠んだものだと言われている。

法隆寺界隈には柿にちなんだ名物が盛り沢山。柿うどん、柿のソフトクリーム、そして柿の姿をしたパゴちゃん。

パゴとは仏塔を表すパゴダから。法隆寺のある斑鳩町のマスコットキャラクター。

そんな柿づくしの法隆寺周辺の代表的なお土産といえば、 柿の葉寿司。

江戸時代に生まれたと言われる柿の葉寿司。今では10種類以上ある奈良を代表する特産品。サケ、エビ、アナゴなどがあるが、店員さんのおすすめはサバ。サバは柿の葉寿司の発祥以来伝統的に使われてきた食材。柿の葉は殺菌効果があり包みとして使うと長持ちする。海のない奈良だからこそ生まれた食べ方。

 

法隆寺で時を知らせるのは国宝の鐘楼にある鐘ではなく、別の場所にある鐘。目印は、なだらかに上る階段の先。国宝・西円堂(さいえんどう)。

お堂の裏手にある鐘で毎日朝8時から4時まで2時間毎に時を知らせている。正岡子規も聞いたかもしれない鐘の音。

ここからしか見ることが出来ない、とっておきの撮影スポット。ここから望む五重塔。

 

2時間ツアー続き

西院伽藍を出て歩きだすと、何気なく建っているように見えても国宝だらけ。

国宝No.12 聖霊院 鎌倉時代

1121年、聖徳太子の500回忌に合わせて造られた聖霊院(しょうりょういん)。

毎年3月、聖徳太子の命日に合わせて法要が営まれる大切な場所。

国宝No.13 聖徳太子坐像 平安時代

聖霊院の本尊が聖徳太子坐像。法隆寺を作った聖徳太子は戦乱や飢饉で乱れた世の中を仏教の教えで安定させようと考えた。その中心となるのが”和をもって貴しと為す”。今でも一年を通じ聖徳太子をたたえる行事が開かれる。

聖徳太子坐像をX線で調査したところ体内に別の仏像が納められていることが分かった。木で作られた亀の台座に立っているのは金属で作られた観音菩薩。聖徳太子の像に魂を吹き込もうとして入れられたと考えられる。

妻室

聖霊院の隣に立つのが、かつてお坊さんたちが寝泊まりしていた妻室(つまむろ)。重要文化財。

国宝No.14 綱封蔵 平安時代

高床式の建物、綱封蔵(こうふうぞう)。法隆寺の貴重な品々を保管しておく倉庫。

建物と建物の間に空間があるのは、空間に板を渡して蔵の中のものを虫干しするためとか。

国宝No.15 食堂 奈良時代

食堂(じきどう)は法隆寺の僧侶が食事をする場所だった。今では毎年4月、この場所で重要な年中行事が開かれる。お釈迦様の誕生を祝う式典・仏生会(ぶっしょうえ)。

お釈迦様の誕生仏(たんじょうぶつ)である小さい像は、生まれた時の様子を表現していると言われている。生まれたばかりのお釈迦様は七歩歩いて左手で天を指し「天上天下唯我独尊」とつぶやいたとか。すると天から水が降り注いだとか。

(調べると右手をあげて、というのもあって。あれ?どっちなんでしょうね?この番組では確かに左手をあげている誕生仏が映っていました)

その伝説にちなみ、誕生仏に甘茶をかけながら祈りを捧げる。

まったく話はそれますが、私は甘茶を飲んだことがなくて。ちょっと気になっています。

そんなに甘いんだろうか。気になる。

またまた長くなったので一旦〆ます。