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ぶらぶら美術・博物館『鳥獣戯画のすべて』

※ 記事内に商品プロモーションを含んでいます

ぶらぶら美術・博物館で【国宝 鳥獣戯画のすべて】について取り上げられていたので自分用にメモ。

なんですけど、最初の20分ぐらい録画できてなかったので乙巻の途中からです(泣)。

鳥獣戯画

甲巻

乙巻

大人の虎は、たぶん手本があったけれど子どもの虎の姿は恐らくなかったため犬化してしまったのかもしれない。

雄の虎の身体(胴体)が長いのは、虎は十二神将(じゅうにしんしょう)という仏教の神様の一人である寅神の乗り物として出てくる。神様が乗るスペースが必要なため胴体が長くなっている。仏画から引用して描かれたので、通常の虎よりは胴長の虎になっている。

 

鳥獣戯画

獅子は右が口を開けている阿形(あぎょう)、左が口を閉じている吽形(うんぎょう)。そして後ろに牡丹が咲いているのは”獅子に牡丹”という定型の組み合わせ。

ただ単に動物だけ抜いてるわけではなくて、それと深い関わりのある植物なども近くに配している。

隣りにある龍も村雲(むらぐも)を呼んで雨を呼んだりするので、雲が強いスピードで流れているような様子も描かれている。

象も色々な仏様を描いた絵画の中で普賢菩薩という仏様の乗り物として出てくる。他のものよりは仏画を見ている人間であれば、ある程度親しみのある動物だったはず。

最後の獏は、マレーバクといった獏とは違い霊獣の獏。(鼻が象、目はサイ、尾は牛、脚は虎にそれぞれ似ているとされているとか。Wikipediaより)

前半が見たことのある動物シリーズ、後半は見たことのないシリーズ。なぜそう分けたかも謎。当時の人達は、霊獣もいたと思っていた?????

 

丙巻

丙巻は前半が人物戯画、後半に動物戯画が描かれている。

最初はボードゲームの賭け双六(すごろく)。男性が賭けに負けて身ぐるみ剥がされていて裸になっているのに、まだ続けているというシーン。

その男性に向かって赤ちゃんがハイハイして向かっていて、奥さんらしき女性はすごく哀しそうな顔をしている。ただ単にボードゲームで遊んでいる人たちを描いているのではなく、バックの人間模様のようなものも描いている。

ボードゲームの次は、体を使った遊びのシーン。

”耳引き”という、互いの耳に紐を引っ掛けて引っ張り合うシーン。2人の上にいる男性は、おそらく次の出場選手で耳の調子をグリグリしながら整えている。

”首引き”

鳥獣戯画"首引き"

若い僧と年老いた尼の勝負。尼さんが若い僧の足の裏をくすぐっているような様子。

このあたりは線にも注目。よく見ると濃い線と薄い線が二重になっている箇所がたくさんある。

左側に見える後ろに手をついて座っている男性。その右手の肘あたりも二重になっている。

もともとは薄い淡い線で描いているものを、線が見えなくなってきてしまったのであとで濃い墨で書き起こしている。濃い墨でみるとあんまりうまく見えないと思ってしまうが、その下にある線を見ると甲乙と同じ平安時代の線なのではないか?

今まで丙巻は鎌倉時代とされてきたが、線に注目すると鎌倉時代より前に描かれた可能性もあるのではないか。

 

後半の動物戯画は、甲巻と同じように動物が人間のように色々動いている場面。

最初は、鹿の上に猿が乗ってレースをするという場面。レース前にはカエルが鹿の蹄をチェックしている様子も。

前半と後半の謎

なぜ前半は人物で、後半が動物なのか?は、ずっと謎だった。

しかし2009年から数年かけて鳥獣戯画4巻全体の解体修理が行われた際、人物と動物の戯画は紙の裏表に描かれていたことが判明。

裏表に描かれていたものをスライス(相剥ぎ/あいはぎ)」して、剥がして1本の巻物にしていた。

人物と動物の境目の部分で半分に折って重ねると、黒い墨の汚れの箇所が一致する。

鳥獣戯画

裏表が剥がされ、今の形にされたのは江戸時代のはじめ頃ということも分かった。裏と表は、どちらが先に描かれたかは不明だが描かれた時期にはタイムラグがあることは分かる。つまり別々の人物によって描かれたかもしれない、という可能性がある。

丁巻

今までは動物、人物さまざま描かれていたが丁巻はほぼ人物が中心。

パッと見ると、あまり上手くない、今までとテイストが違うという印象を持つが、かなり速いスピートでサササっと描かれたもの。そのスピード感と墨の太い細いというのもかなりコントロールしている。

ただただ下手な人のイタズラ書きがたまたま残って国宝になってしまった訳ではない、と思われる場所がある。

例えば、法会をやっているシーン。

鳥獣戯画

甲巻にある法会のシーンとほぼ構図が一致している。

鳥獣戯画

甲巻を見た人が丁巻を描いていることは間違いない。

甲巻ではキツネがお経を読んでいるが、丁巻ではお経で鼻をかんでいる。甲巻を見た上で丁巻を見ると、パロディーのパロディーをしていると分かる。

そして丁巻の最後の方に、再度法会のシーンが出てくる。

鳥獣戯画

一番右側の振り返っている男性は、鎌倉時代に”似絵(にせえ)”という人の似顔絵を描く時の手法が使われている。

本来は、ここまで描けるんだぞということを描いているのではないか、という可能性がある。

鳥獣戯画をより理解するためのキーワード

キーワードは”明恵上人”と”高山寺”。

鳥獣戯画が伝わる京都・栂尾(とがのお)の高山寺(こうさんじ)。中興の祖ともいえる明恵上人(みょうえしょうにん)。

普段は高山寺の開山堂(かいさんどう)というお堂に安置されており一般の参拝客は見ることが出来ない。今回28年ぶりに公開されている。

明恵上人は60歳で亡くなっている。この像が作られたのは明恵上人が亡くなった後で、50代半ばぐらい?の生きているときの姿が彫られている。

明恵上人は修行の一環で右耳の上の部分を一部切り落としたと言われている。

今回の展示にはないが『国宝 明恵上人像(樹上座禅像)』では右耳が見えない角度で描かれている。

今回、展示される前に像をCTスキャンをしたところ巻物状のものがお腹の辺りに入っているのが分かった。しかし、これが何であるかは本格的な解体修理をするといった機会がないと確認することはできない。現在、像の状態が良いため今すぐ修理をする必要はないのでしばらくは見られないだろう、とのこと。

 

明恵上人は平安時代の終わり1173年に紀州(和歌山県)生まれる。東大寺で修行をして最終的に後鳥羽上皇から土地を与えられ華厳宗の道場として高山寺を再興。

ずっと一生懸命に修行をしていた明恵上人がいたことから、学問寺(がくもんじ)とも呼ばれており、明恵上人が使ったお経なども収蔵されている。今でいう図書館や大学のような施設のような感じでもあった。

なぜ、そこへ鳥獣戯画が伝わったのか?

それは明恵上人が作ったお寺だから、ということで色んな所から書物や巻物が数多く集積したのではないか、と。そのなかに鳥獣戯画もあった可能性がある。

明恵上人は『夢記(ゆめのき)』という夢日記を残したことでも有名。24歳ぐらいから亡くなる少し前まで相当長い期間にわたって夢の記録を残している。

明恵上人は夢で見た内容というのは、ある意味お釈迦様から直接送られてきたメッセージのように考えていたようだ。犬と戯れた、ということであっても明恵上人なりに仏教的な解釈をしている。

夢で女性を見た場合、女性が実は毘盧舎那如来(びるしゃなにょらい)だったという話。明恵上人が信奉した華厳経のお経でトップの仏様である毘盧舎那如来。夢で見た校風を文字だけではなく絵にも描いたページがある。

なかには、女性と親しい関係を持ってしまったことも隠さず書いてある。

自分が亡くなった後は焼き捨てるよう言っていたようだが、弟子たちにとっては明恵上人を知る大変貴重な資料なので焼けなかったのではないか。

明恵上人自身も学問をするお坊さんであったこと、弟子たちも書物や文化財を大切にしようという考えがあったお寺だったため、鳥獣戯画が残る必然性というのもお寺の性格が色濃く反映しているのではないか。

鳥獣戯画の制作に直接は関わらなくても伝来、今に伝えるということの意味において極めて重要な役割を果たしたのではないか。

 

日本一かわいい重要文化財と言われる子犬の木像。

明恵上人が運慶の長男・湛慶(たんけい)に彫らせ、愛玩していたと言われている。

江戸時代には、明恵上人の坐像の近くにこの子犬の像が置かれていたらしい。(今もそうして差し上げて欲しいと個人的には思ったり)

彫刻というと仏像とか神像が中心で、この像のように宗教的な意味合いというものがほとんど見いだせない像というのは極めで限られている。この像をひっくり返すと、肉球が彫ってある。

展示室の最後の壁に、実際の肉球の画像が貼られている。(図録にも載っていて感激しました。ここまでも可愛いとは!)

 

 

鳥獣戯画に関する動画