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ミステリアス・ジャパン  三柱鳥居の謎〜東京都墨田区〜

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2019年1月に放送されたミステリアス・ジャパン 三柱鳥居の謎〜東京都墨田区〜が面白かったので自分用にメモ。

三囲神社(みめぐりじんじゃ)とは

東京都墨田区向島に鎮座する三囲神社。

墨田区の左岸にあり、浅草から見て隅田川の向こう側ということから向島と呼ばれるようになったと言われる。

三囲神社の境内には全国で数箇所しか確認されていない変わった形の鳥居がある。それが三柱鳥居。3つの鳥居が合わさって形づくられた石鳥居。

江戸時代には不思議な名所として葛飾北斎も描いていた三柱鳥居。

北斎漫画

葛飾北斎 北斎漫画十一編

鳥居とは

神がいる神域と人間が住む俗界を隔てる結界であり神域への入り口を示す門のようなもの。

2本の柱の上に笠木(かさぎ)と島木(しまぎ)を渡し、その下に貫(ぬき)を入れて柱を固定。そこへ社名などを記した額を掲げるのが一般的な鳥居。

しかし全国の神社にはさまざまな形状や独特のまつられ方をした鳥居が存在している。

広島県の宮島に鎮座する厳島神社の大鳥居。驚くべきはその大きさと構造。奈良の大仏とほぼ同じ高さのおよそ16メートル。強化した海底の地盤の上に鳥居の重みだけで立っている。

京都の伏見稲荷大社にある千本鳥居。江戸時代以降に願い事が通るように、または通ったというお礼を込めて鳥居を奉納する習慣が広まったことによって、この光景が生まれたという。

滋賀・比叡山の日吉大社をはじめ全国の日枝神社、山王神社で見られる山王鳥居。明神鳥居の上部に三角形の破風(はふ)と呼ばれる屋根がついた構造で山の神をまつったお社に用いられる特徴的な鳥居。

変わった形の鳥居として有名なのが奈良県桜井市に鎮座する大神神社の三ツ鳥居。日本最古の神社の一つといわれる大神神社の社伝に「古来一社の神秘なり」と記された謎の鳥居。由緒も建造も一切記録がなく、古来から存在していたことしか分からないという。

三囲神社の境内へ

まずは見慣れた形状の一ノ鳥居がある。境内には狛犬ではなくライオンの像がある。これは2009年に閉店した三越・池袋店のシンボルだったライオン像。

三囲神社の宮本さん曰く「当神社は三井家ならびに三井系企業の守護神の神社という位置づけになってます。その関係もあって三越の三越デパートの屋上には三囲神社の護持社がすべてのデパートの屋上にあるんですよ」

三井グループとの関係

三囲神社は百貨店や銀行でおなじみの三井グループの崇敬社(すうけいしゃ)として知られている。しかし、なぜ三井家の崇敬を集めたのか?

宮本さん曰く「江戸の初期、三代将軍・家光の時代に三重の松坂から三井高利という方が、この方が三井系企業の開祖とされる人物なんですけども、その方が江戸へ出てきて越後屋という呉服商を始めます。後には両替商、今で言う銀行これがのちの三井銀行につながるんですけども。

そこまで大店になった越後屋さんは江戸の守護神を設けようと。それがちょうど江戸の中期、八代将軍吉宗の時代なんですけど”うしとら”の方角から災いがもたらされるということで当時越後屋は今の日本橋三越の本店あの辺りにありましたから、そこから北東へ守護になる神社を探したところ隅田川を渡ったこの当地に三囲神社があったと。以来、この神社が三井家の守護になったわけなんです」

創建は平安時代初期にさかのぼり弘法大師が建立したと伝わる。

三囲神社の祭神は宇迦之御魂命(うかのみたまのみこと)といい米作り、稲作の神様ということで俗にお稲荷様ということになる。お稲荷様は五穀豊穣を願い、そこから商売繁盛や家内安全など様々なご利益があるとされている。

 

三囲神社の名が江戸中に知れ渡ったのは江戸時代初期のこと。元禄に起こった大干ばつで農民たちは雨乞いをしていた。そこへ俳諧の達人・其角(きかく)がやってきて「夕立や 田を見めぐりの 神ならば」。その句を神前に奉じた翌日、恵みの雨が降った。あらわれた霊験は江戸中に広まり歌川広重などの錦絵にも多く描かれた。

三井家の守護社になったのは、それからおよそ20年後の享保年間。以降、現在に至るまで三井家にとって特別な存在であり続けている。

平成5年には三井家の邸宅から顕名霊社(あきなれいしゃ)が遷座された。顕名霊社は、三井家の先祖120柱あまりを祀る祖霊社。没後100年を経過した三井家当主夫妻が神として合祀されている。

三柱鳥居が三囲神社にある理由

顕名霊社の入り口の傍らに三柱鳥居が立っている。石造りの明神鳥居を3つ組み合わせた3本の柱で構成された形。こちらも三井家に由来するものと言われている。

一体、どんな経緯でまつられ、どんな意味が込められた鳥居なのか?

三柱鳥居が三囲神社に造営されたのは平成5年。しかし三柱鳥居自体は葛飾北斎が絵手本として発行したスケッチ画集『北斎漫画』にも描かれていることから少なくとも江戸時代末期には存在していたことになる。

江戸で呉服屋として大成功した三井氏、実家は京都に置いてあった。京都の太秦というところにある木嶋神社の境内には蚕ノ社というお蚕さん、養蚕の神様とされているお社がある。三井家は絹製品を扱っているので木嶋神社を非常に崇敬していたという。顕名霊社も木嶋神社のなかにあった。

京都から東京へ事業拠点を移した三井家は深川の別邸にも顕名霊社の社殿を新たに造営。京都と東京の両方で先祖の御霊をまつった。三柱鳥居も顕名霊社と同様、新設や遷座の経緯を辿ったと言われている。

そもそも三柱鳥居とは何なのか?

木嶋神社のある京都市左京区太秦。養蚕や機織業をもって朝廷に仕えた古代豪族・秦氏の拠点だったと伝わる地。

太秦には秦氏の墓と言われる日本最大級の石室・蛇塚古墳もある。もしかしたら三柱鳥居も秦氏に関する遺物なのではないか?

三囲神社の宮本さん「京都の太秦というところに木嶋神社(通称)という神社があります。木嶋神社の境内に神の池”元糺の池”という池があるんですけども、そこの真ん中に三柱の鳥居があるんですね(中略)京都の木嶋神社というのは大陸からの渡来人である秦氏が非常に関係の深い神社と聞いてますので、当時の渡来人はあのころの最高のその知識と技術をたぶん持っていると思うんですね」

木嶋坐天照御魂神社(通称:木嶋神社・蚕ノ社)

「神聖な池の真ん中にあるんですね。そうすると鳥居っていうのはそもそもが神の住んでいる神聖な領域と人間のいる俗な領域を分けるためのものといわれています。と、どこから見ても神の領域で分かれて三角にするっていうのは三柱っていうのは非常に合理性があると思うんですね。しかもその柱を組み合わせて鳥居を出していくというのはデザイン的にも技術的にもかなり高度なものでしょうから、そういう技術の高さの一環も表しているのかなと勝手に個人的には思ってます」

キリスト教の三位一体であるとか、ピラミッドに関連するなどさまざまな仮説が唱えられる神秘的な三柱鳥居。

三囲神社にある三柱鳥居は日本有数の財閥・三井家によって建てられたものだった。しかし三柱鳥居は、いったいどんな目的で建てられたものなのか、その真実はまだ明らかになっていない。

至極簡単な感想

謎は明らかにならずに終わった!!

けれども実際に三囲神社に行ってみたいな、と思いました。まさか境内にライオン像があるなんて。

 

浮世絵EDOーLIFE『花見の名所 珍風景? 歌麿”三囲神社の御開帳 向島の花見”』も宜しければお読みください。