「趣味どきっ!旅したい!美味しい浮世絵」という全9回の番組が2016年4月からあったので自分用にメモ。
今回は、第3回 江戸の天ぷら。
なお、記事中の浮世絵は特に記述がない場合はボストン美術館のホームページで公開されているパブリックドメインの作品を使用させていただいています。
趣味どきっ!旅したい!美味しい浮世絵 第1回 江戸のすし |
趣味どきっ!旅したい!美味しい浮世絵 第2回 江戸のうなぎ |
小林聡美さん
もともと落語がお好きという小林聡美さん。
「浮世絵を見ることで江戸時代の人々の暮らしが見られたりとか、どんなものを食べていたのかより深く知ることができるのではないか楽しみにしています」
案内役・林綾野さん
キュレーター・アートライターの林綾野さん。
フェルメールやモネの展覧会に携わり、安野光雅展などを企画。独自の視点で画家の暮らしや食について探求している。
食を切り口に画家や作品に迫まろうとする林さん。この春(2016年)開かれているピカソ展に合わせピカソが食べたというスープの再現を試みている。
アート&イート イベント「ピカソは何を食べていたの?」終了しました!林綾野さんの楽しいトークの後に、ピカソが愛したスープのサプライズ試食で二度おいしいイベントになりました(^^) #香川県立ミュージアム #ピカソ展 pic.twitter.com/LFAmgaSC1S
— ピカソ展in香川 (@Picasso_Kagawa) April 24, 2016
食から絵にアプローチする意味とは?
「絵は視覚を使って見るものですけども、実際作ってみると香りとか食感とかそういうものを駆使して、より親近感を持って絵を見ることができるようになると」
浮世絵を食という視点で
浮世絵は食、旅、流行など当時の暮らしを描いたいわば江戸時代の情報誌。とりわけ食という視点で浮世絵を見ると当時の庶民の暮らしぶりとともに浮世絵の新しい見方や楽しい見方も浮かび上がる。
深川江戸資料館
館内には江戸の下町が再現されており、天ぷらの屋台も。
歌川広重『東都名所 高輪廿六夜待遊興之図』
月見の名所・高輪海岸のにぎわい。縁起の良い月を待つ人々。
二十六夜待:1月と7月の26日夜に縁起の良い月を待って拝む民間信仰。
江戸後期になるまで庶民にとって天ぷらは専ら屋台で食べるものだった。
浮世絵の中心部分に見える天ぷらの屋台。男性が買った天ぷらを丼に入ったおつゆをつけている。奥では天ぷらをあげている人が。
天ぷらのはじまり
日本家政学会・食文化研究部会長の大久保さん登場。
火事が多い江戸では揚げ物は外でしかできなかったため、天ぷらの屋台から始まった。「家構えの揚げ物屋さんしたとしても、揚げるのは外で揚げなさいっていう命令があるんですよ。(江戸の)後半になるとお金たくさんありますから料亭で食べたりいろいろしますけど、そういう人たちはちょっと置いといて庶民としては今で言うファストフードみたいな形で屋台で食べる。その中でいろんな屋台があるわけですけど揚げ物っていうのが日常の食べ物の中にないんですよ。(揚げ物を家でするのは禁止されていたから)油物っていうのはすごく人気を博す。しかも4文とか、今でいうと100円みたいな感じで安く買えるわけですよ」
かけそば1杯16文の時代、天ぷらはその1/4の値段。庶民の間で大流行した食べ物だった。
大久保さん「魚に関してだけ”天ぷら”って言ってましたので、野菜を挙げる時は”揚げ物”なんですね。大阪で、すり身の揚げ物を”つけ揚げ”っていうんですね。それが、江戸へ移入されてきて魚そのものを揚げてる。で、これがヒットした」
江戸後期に描かれた銀形恵斎『近世職人尽絵詞(しょくにんづくしえことば)』は、江戸の職人たちを描いた絵巻。そのなかに天ぷらの屋台が描かれている。
手ぬぐいで顔を隠した男の腰には脇差しが2本。武士のよう。庶民で賑わう屋台の天ぷらだが油の香りに誘われ武士の身分を隠してまで立ち食いしている様子。左に立っている女性はテイクアウトのようだ。
江戸は当時100万人都市。静岡や房総半島などから毎日大量の魚介が運ばれてきた。四季折々の魚が天ぷらとして、またすしとして江戸っ子たちの胃袋を満たしていた。
とっておきの一枚
天ぷらが描かれたとっておきの一枚は歌川国芳『園中八撰花(えんちゅうはっせんか) 松』。
店の一角で女性が天ぷらを食べようとしている。
団扇絵という団扇にするために描かれたもの。浴衣も絞りで夏に近い季節を感じる。『園中八撰花』は美人と植物を取り合わせた華やかなシリーズ。菊は、菊を背景に猫が気持ちよさそうに女性に抱かれている。撫子は秋の七草である撫子を摘む女性。
松は松のシルエットを背景に女性の着物も松竹梅をあしらった絞り染めでおめでたいもの尽くし。
お皿の上の天ぷらを食べる女性。江戸の後期には天ぷらはこうした店でも楊枝に刺して、おつまみのような感覚で食べられていたようだ。ギザギザした衣の天ぷら、これは一体??
もう一枚は月岡芳年『風俗三十二相 むまそう 嘉永年間女郎の風俗』
「さむさう(寒そう)」「おもたさう(重たそう)」「つめたさう(冷たそう)」「ねむさう(眠そう)」など様々な女性の仕草を表現したシリーズの一枚。
「むまそう」とは、”うまそう”のこと。月夜の晩に、ちょっと大きめの天ぷらを食べようとしている女性。
先ほどの歌川国芳『園中八撰花 松』とそっくり。月岡芳年は国芳の弟子だったこともある人物。浮世絵では先輩たちの良い構図を引用して活用する絵が結構ある。
江戸時代の記録によれば、天ぷらの素材は海老、鱚(きす)、烏賊(いか)、穴子、小柱などと書かれている。2つの作品は、およそ30年の開きがある。(国芳は幕末の作品、月岡芳年は明治に入ってから)
人物のしぐさは同じでも、天ぷらの素材や衣の風合いの描き分けに絵師の個性の違いが見て取れる。
小麦粉の質も、おそらく江戸の後期と明治では違うため描かれ方も違うのではないか、と。
実食
120年以上続く老舗の天ぷら屋さん。
創業は明治時代に入ってからだが、屋台が発祥。4代目の奥田秀助さん。
まずは天ぷらの花形・海老から。この店では屋台の頃からの伝統で車海老の尾のギリギリまで殻をむき先端をカット。丸ごと食べられる工夫。
今では年中食べられる海老だが旬は梅雨〜初秋。冬には食べることができなかった。
初夏が旬の食材と言えば鱚。今でも東京湾で取れるものが珍重される穴子(旬は夏〜晩秋)。
絵から見るとお皿に油がたまっていないので油切れの良い油、ごま油で揚げていたのではないか、という奥田さん。
ごま油は高温で調理することで油のきれがよくなるんだとか。それと熱に強いので傷みにくいんだとか。頻繁に油を替えられない屋台。ごま油は風味もよく理にかなっていたようだ。
鱚は開いてから、揚げるときに身を合わせる(元の形にする)ことで鱚の味が中にこもるという技。これも屋台からの伝統。
私自身、あまり作品中の食べ物に注目したことがないので。これからは浮世絵のなかの食べ物にも注意したいと思いました。映画とか本のなかに出てきても、すぐ忘れちゃうんですよねぇ。
次回は江戸のそばだそうです。