もう明日で終了してしまうというルノワール展。
実は1回見に行った際、時間切れで6章ぐらいまでしかゆっくり見られず。
7章から最後は駆け足だったものですから、もう一回好きな作品たちも含め
じっくり見たいと思い2回目行ってまいりました。
Ⅶ章 「花の絵のように美しい」
ルノワールは、バラを女性の肌合いを研究するための格好のモティーフと
捉えていたとか。
バラのように美しかったらねぇ……ぶつぶつ。いえ、なんでもないです。
「花を描くと頭が休まります。
モデルと向き合うときの精神の緊張とは別物なのです。
花を描くとき、私は1枚のカンヴァスを失うことを恐れずに、さまざまな色調を
置き、色を大胆に試みます。
こうした試行錯誤から得られた経験を、他の絵に応用するのです」とルノワールは
言っていたそうで。
やはりモデルさんはポーズをとるにも限界があるだろうし、色々と気を使う
部分があるんでしょうかねぇ。
《桟敷席に置かれたブーケ》
この章にあった《グラジオラス》という作品。
ガラスの花瓶に活けられた花の絵なのですが、その花瓶の描かれ方が
好きでした。
《モスローズ》という絵も可愛らしかったなぁ。
Ⅷ章 ≪ピアノを弾く少女たち≫の周辺
少年時代、聖歌隊に入っていたというルノワールは音楽を愛し、音楽家や
音楽評論家とも交流していたようです。
《ピアノを弾く少女たち》
当時の現代美術館ともいうべきリュクサンブール美術館が1892年に購入した、
印象派の作品としては最初の絵だそうです。
今からすると印象派って古典的なイメージがありますが。
なるほど、当時は現代美術的な扱いになるのか、と当たり前のことながら
しみじみ。
現時点の私には、あまり現代美術を見る機会がないのですが。
そうか、200年後には古く思われるんだな……
「中産階級の娘を描いたこの時期の作品には、理想化された構図と、調和のとれた
色彩が特徴的です」と説明にありましたが、私の手元のメモには
「カーテンの色が独特」とか「腰のリボンと頭のリボンは同じ色なのかな?」
とか、まったくもって良さを理解してなさそうなことしか書いてありませんでした。
とほほ
《ピアノを弾くイヴォンヌとクリスティーヌ・ルロル》
《ピアノを弾く少女たち》から約5年後に描かれたという作品。
モデルはルノワールの友人である画家・アンリ・ルロルのふたり娘さん。
壁にかかっているのはドガの”踊り子”と”競馬”の絵だそうで。
美術収集家にして音楽愛好家でもあったルロルの暮らしぶりが伝わる、と
説明にありました。
これを見たとき、映画『トランボ』の1シーンを思い出して
しまいました。
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そうそう、この章に《リヒャルト・ワーグナー》という作品が展示されて
おりまして。
イタリア・パレルモに滞在してオペラを完成させようとしていたワーグナーは
当初ルノワールの訪問を拒んだとか。
しかし作品になっているということは、最終的にはOKを出したということなので
ありましょう。
ワーグナーの妻コジマは「とても奇妙な結果」と形容したと説明にありました。
奇妙??なんだか気になる言い回し。
不思議な、なら分かりそうな気もしますが。うーん。
と、絵以外のころが気になるのも毎度な感じ。
Ⅸ章 身近な人たちの絵と肖像画
後年に描かれた人物画や肖像画の特徴は、丸みのある形と入念な彩色とのこと。
ポーズをとることになれたプロのモデルではなく、日常生活を営む自然体の
女性を描くことを好んだというルノワール。
画商ヴォラール氏曰く「画家が家事手伝いの娘に唯一求めたのは、
”光をしっかりと吸い込む肌”」だったとか。
くっ。
いえ、なんでもないです。ただ羨ましいだけです、はい。
妻アリーヌが次男のジャンを身ごもったときに遠縁の娘ガブリエルを呼びよせ
その後20年間、となって200点近くの作品に登場するそうです。
すごいな、ガブリエル。
そこまで画家の創作意欲をかきたてるモデルさん。
私が妻だったら嫉妬しちゃうかもなー。
《バラを持つガブリエル》
絶対、嫉妬しちゃう。絶対、疑う。私だったら。
いや、ガブリエルさんもよくここまで……いや、すみません。
絵に集中しろって感じですね。
前述したように、ルノワールにとって”バラは裸婦で用いる色合いを
実験するもの”で、この作品の緑がかった背景がバラ色をひき立てる
本作において、その探求が見事に身を結びました、とのこと。
この章には、ルノワールの40歳年下であるピカソの作品も展示されて
いました。
インスピレーションを得ていたそうです。
で、この頃の私のメモに「だんだんピントが合ってきたかも!」
「ルノワールのピントに合ってきた!」と走り書きが。
そうなんです、ここまでじっくりとルノワールの作品を見ていたら
突如として、ルノワールの作品がスっと入り込んでくるようになったんです。
なんか、こう、ルノワールって輪郭がとらえがたいというか
近視の私がメガネをとったときの風景のように、ぼんやりとしたイメージが
強かったんですが。
ここにきて、ようやくルノワール・ピントを会得したようで(なんじゃそりゃ)
ちょっと嬉しくなりました。
Ⅹ章 裸婦、「芸術に不可欠な形式のひとつ」
1860年代には裸婦に取り組んでいたルノワールは、続く10年間はあまり描かず、
再び裸婦を描くようになったのは1880年代とのこと。
ラファエロやティツィアーノ、ルーベンスといった過去の巨匠たちと競いながら、
神話ではなく地上を舞台に裸婦像を描いた、と。
そのティツィアーノの作品が、ルノワール展の1フロア上で展示されてるとは
面白い偶然ですねぇ。
悪化するリウマチ、第1次世界大戦に従軍した息子たちの負傷、妻アリーヌの死に
直面しながら、「最善を尽くしきるまでは死ぬわけにいかない」と、裸婦の大作に
挑み続けたとか。
つやのある白い下地の上に、薄く溶いた絵具を重ね塗りすることで
肌の柔らかな質感とヴォリュームが実現されているとか。
ボリューム、うん、確かにボリューミーな作品が多かったように思えます。
ここでは《横たわる裸婦(ガブリエル)》も展示されていました。
ガブリエル……。
ルノワール自身も「ルーベンスだって、これには満足しただろう」と語った
という作品が、こちら。
《浴女たち》
ルノワールと親交のあったマティスも「最高傑作」と評したとか。
ご本人も納得の作品が最晩年に描けるって凄いなぁ。
今までやってきたことが、ちゃんと形になったってことだもんなぁ。
と、結局2回目も閉館ギリギリになってしまったルノワール展。
1つの展覧会で、これだけルノワールを見ることは、この先まずないと
思うので。貴重な体験ができて、たっぷり見られて良かったな、と。
で、全く話が変わりますが。
あのネコのぬいぐるみ買ってくれば良かったかな、と今更思っても
遅すぎるのでありました。
《ルノワール展に関する記事》
usakameartsandcinemas.hatenablog.com