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『2時間でまわる法隆寺』その③

※ 記事内に商品プロモーションを含んでいます

2016年1月に放送された『2時間でまわる法隆寺』その①その②の続きです。

なお、情報は番組内で紹介されたままを書いているので現在とは相違があるかもしれません。ご了承ください。

また記事内で使っている写真は、私が実際に法隆寺で撮影してきたものを使用しています。

 

大宝蔵院

法隆寺の貴重な国宝が多数収蔵されている大宝蔵院。1998年に完成。国宝や重要文化財などが80点も展示されている法隆寺の博物館ともいえる場所。

ここでは展示されている国宝6点に絞って25分を目標に見ていく。

仏像の格について

これを知ることが仏像を効率よく見るコツなんだとか。

下から順に天、明王、菩薩、如来。これまでに見てきた四天王像などが天にあたる。明王は不動明王あたりが有名どころ。菩薩は悟りを開こうと修行中の釈迦。大宝蔵院は4体の国宝の菩薩が安置されている。

国宝No.16 九面観音 中国唐時代

7世紀から8世紀ごろ唐からやって来たと言われる仏像・九面(くめん)観音。

観音菩薩とは人々の声を聞いて救済してくれる仏様。この九面観音は1本の木から削り出された。身にまとった衣のうねり、そして足元の台座まで1本の木から。腰の右側の飾りは細かな鎖になっている。

九面観音は名前の通り9つ顔があるが、9つめは後ろにあるため全ての顔を一度に見ることは出来ない。顔が9つある理由は、困っている人がいないかあらゆる方向に目を配るためということ。

国宝No.17 夢違観音 飛鳥時代

夢違(ゆめちがい)観音は九面観音と同じ人々を救済する観音菩薩。やわらかな表情と丸みを帯びた体つきが印象的。この仏像にお祈りすれば悪い夢を良い夢に変えてくれるという縁起のいい菩薩像。

国宝No.18 地蔵菩薩立像 平安時代

地蔵菩薩は人々の代わりに地獄に落ち、あらゆる苦難を引き受けてくれるという仏様。道端のお地蔵様に代表されるように身近な存在。

実はこの仏像は時代に翻弄された歴史を持っている。もともと地蔵菩薩は別の寺に安置されていたが明治時代、排仏棄釈で打ち捨てられる寸前だった。それを見かねた法隆寺が引き取り、ここにやって来たという。

地蔵菩薩として最も古いもので国宝の地蔵菩薩。

国宝No.19 伝橘夫人念持仏および厨子 飛鳥時代

如来は釈迦が悟りを開いた状態。如来は大宝蔵院に1体のみ。中心に位置する阿弥陀如来が本尊。

人々を極楽浄土に導いてくれる阿弥陀如来。その御利益から人々の篤い信仰を集めてきた。

如来の代表的な特徴3つ。
① 盛り上がった頭 肉髻(にくけい)
② 縮れた髪型 螺髪(らほつ)
③ 眉間にある白毫(びゃくごう)ほくろではなく、白く長い毛が巻き付いたもので長さは1丈5尺(約4.5メートル)あると言われている。

丸みを帯びたやわらかい表情と体つき。その体に薄くまとわれた衣の質感が見事。こまやかな装飾も見どころの一つ。特に背後にある光背は高い技術で作られている。

あみだくじは、阿弥陀如来からきている。元々あみだくじは、放射状に線を引いてやるものだったとか。その線が阿弥陀如来の光背に似ていたので”あみだくじ”という名前になったとか。

国宝No.20 玉虫厨子 飛鳥時代

その名の通り沢山の玉虫の羽で飾られていた玉虫厨子。今ではほとんど羽は取れて無くなっているが、金具部分などに僅かに残っている部分もある。

厨子とは仏像を安置するための仏具の事。仏像を安置するのが本来の役割。厨子は仏像にとっての住居だが単なるミニチュアではない。厨子は建築、工芸、絵画あらゆる技を結集した究極の工芸作品。軒周りを見てみると実際の建物みたいにしっかりと木材が組み込まれている。

角から突き出た部分は金堂と同じ、雲型肘木(ひじき)と呼ばれる加工が施されている。側面を飾る透かし金具も繊細な加工が施されている。

玉虫厨子は工芸としてすごいだけでなく絵画としてもすごい。台座には釈迦の前世の物語が描かれている。

左の側面に描かれているのが”施身聞偈図(せしんもんげず)”。体を差し出せば真理を授けようと言われた前世の釈迦が自ら崖から身を投げた瞬間を描いている。

右側面に描かれているのが”捨身飼虎図(しゃしんしこず)”。前世の釈迦が餓死しそうな虎の親子に出会い自らの身を差し出して命を助けたという自己犠牲の尊さを表している。

この2つの絵は海外の有名な仏教遺跡でも見ることができる。それがシルクロード敦煌の洞窟壁画。

国宝No.21 百済観音 飛鳥時代

百済観音は謎の仏像と言われており、百済観音が法隆寺の記録に出てくるのは江戸時代から。それまでどこにあったのか、法隆寺にいつやって来たのか細かな経緯は一切不明の仏像。

そっと体の前に差し出された右手。さりげない仕草の中に、人々をすくい上げようとする菩薩の心を表現している。

顔から足元に至る優雅に流れる曲線と、うっすらとほほ笑みをたたえた表情。全てが相まってミステリアスな印象を醸し出している。

百済観音は一度だけ海外に渡ったことがある。1997年6月、日本とフランスの大きな交流イベントがあり日本代表としてルーヴル美術館で特別展示された。このとき、ルーヴル美術館から日本に貸し出されたのがドラクロワ『民衆を導く自由の女神』。

 

百済観音
見たことのない文化財『百済観音』3Dスキャナーで文化財を計測し、超高精細な3DCGがなんちゃらの、とにかく普段は見られない角度からも文化財を見ることができる番組。 ...

オプショナルツアー:”とめぶた”を探して

初級編

法隆寺の境内にある屋根は興味深い瓦の宝庫。

南大門の直ぐ側にある屋根の上にあるのは獅子の飾り。向かいの屋根にあるのは波。この飾りは留蓋(とめぶた)という。瓦の継ぎ目からの雨漏りを防ぐためのもの。

もともと留蓋はシンプルな作りだった。国宝・食堂の留蓋はおわんのような素朴な形をしている。それが時代とともに魔除けの意味合いも込めた華やかなものに変化していった。

中級編

留蓋のデザインには、しばしば植物が用いられる。菊、桃、蓮など。

桃は、かつて中国で不老長寿の薬としての伝説が生まれた縁起のいい果物。

蓮は泥の中から美しい花を咲かせるため極楽浄土を思わせる神聖な植物とされている。伝橘夫人念持仏および厨子のなかにあった阿弥陀如来の台座にも蓮の花・蓮華がデザインされている。

宝珠は願いを叶える宝とされている。国宝の地蔵菩薩が持っているのも宝珠。

菊の花、桃、蓮、宝珠の留蓋は西院と東院を結ぶ参道周辺で見ることができる。

上級編

最も見つけづらい上級編の留蓋は4m近い高さの屋根の上に。亀のような甲羅を持ち竜のような頭と大きな尻尾がある不思議な姿。どこにあるかは法隆寺に来てのお楽しみ。

 

2時間ツアー続き

国宝No.22 東大門 奈良時代

奈良時代に建てられた1300年の歴史を誇る門。

Mの形をした屋根裏が特徴の東大門。三棟造り(みつむねづくり)と呼ばれる奈良時代の典型的な様式だが、法隆寺で今見られるのはここだけ。

 

国宝No.23 夢殿 奈良時代

夢殿

8世紀に建てられた聖徳太子の霊廟。聖徳太子が暮らしていた斑鳩宮(いかるがのみや)の跡地に建てられたと伝えられている。

ここでの写真撮影スポットは、入口をはいって右手へ進んだ位置からみた夢殿。聖徳太子の千円札にも使われるほど人気のアングル。ここから見ると全体がバランス良く収まる。

File:Series B 1000 Yen Bank of Japan note - back.jpg

上記画像はWikipediaより

夢殿を上から見下ろすと屋根の形が八角形。一説によると八角形は円に近い縁起のいい形。そのため夢殿に採用されたといわれている。

屋根の上にあるのは青銅製の飾り・宝珠。四方八方に光を放ち輝いている様子を表現している。

夢殿の階段をのぼると金網越しに目の前に赤い像・聖徳太子坐像。

国宝No.24 道詮律師坐像 平安時代

聖徳太子坐像の左側にあるのが道詮律師坐像(どうせんりつしざぞう)。夢殿の復興に力を注いだ僧侶の像。

この像のすごいところは粘土で作られとても壊れやすいにもかかわらず長い年月その姿を保ち続けていること。また、当時の高い技術を今に伝えていること。

中の柱にも注目。八角形の夢殿に合わせるように柱の形も八角形をしている。

国宝No.25 救世観音 飛鳥時代

明治時代まで布でぐるぐる巻きにされ誰も見ることができなかったという法隆寺最大の秘仏・救世(くせ)観音。

1884年、アメリカ人の東洋美術史家アーネスト・フェノロサが法隆寺にやってくる。全国の貴重な仏像を調査・保護していたフェノロサは、政府の許可を取り付けて僧侶たちが反対するなか封印を半ば強引に解こうとする。その封印を解くと天変地異が起きると伝えられていた。

その言い伝えを信じていた僧侶たちは逃げ出してしまう。しかしフェノロサは、そのような声をよそに秘仏が納められた扉を開く。仏像に巻かれた布は、なんと500メートル近くもあった。仏像を目の当たりにしたフェノロサは「驚嘆すべき世界無比の彫像」と絶賛。

聖徳太子の等身大と伝えられる金色に輝く仏像。いつ、どこで、誰に作られたのかはっきりとしたことが分かっていない。救世観音は聖徳太子の冥福を祈り作られたと考えられている。

すべてを見透かすような目とアルカイックスマイルをたたえた口元。手に持った燃え盛る玉は宝珠。さまざまな願いを叶える宝。

1本のクスノキから作られたとは思えない肉体表現や装飾など職人の巧みな技がうかがえる仏像の最高傑作。

明治まで一切人の目に触れることがなかったこの仏像は今でも普段はその扉を閉ざして姿を見ることができない。一年のうち春と秋に1ヶ月ずつ開催される特別公開のときだけ見ることができる。